人生に不安や恐怖はつきものである。
だがそれを喜んで受け入れられる人は少ない。
出来れば不安も恐怖もない、平穏な人生を歩んでいきたい。
それが多くの人の願いではなかろうか。
だが一方で、人間は恐怖や不安が大好きな生物でもある。
休みの日にわざわざ遊園地に行き、
大金を払って絶叫マシンに乗る。
事故で死ぬかもしれないのに、
スカイダイビングやバンジージャンプを楽しむ。
人間以外の動物から見れば、理解に苦しむ行動だろう。
だが人間の私たちには、なくてはならない娯楽なのだ。
他にも、理解に苦しむ娯楽はたくさんある。
たとえばマラソンやトライアスロン。
ジムでのウエイトトレーニング。
犬の散歩や餌やり。
それをやることによってリフレッシュ出来るのなら、
立派な娯楽と言えるだろう。
だがちょっと見方を変えれば、
単なる無報酬のブラック労働と言えなくもない。
報酬をもらって肉体労働するのは仕事。
お金を払ってトレーニングするのは娯楽。
報酬をもらって動物園の馬にエサをやるのは仕事。
お金を払って動物園の馬にエサをやるのは娯楽。
やっていることは同じでも、仕事だとストレスが溜まり、
娯楽だとストレスが発散できる。
つまり、重要なのは
「何をやっているか」という行動そのものではなく、
「何のためにやっているか」という動機なのである。
眠れないくらい怖い映画に、
わざわざお金を払って観に行くという娯楽。
だがもしも、お金と引き換えにその映画を
観なくてはならないとしたら、それは過酷な仕事となる。
お金を稼ぐための不安や、恐怖や、疲労は、
無くなってほしい辛いもの。
お金を払って体験する不安や、恐怖や、疲労は、
無くなったら困る楽しいもの。
同じ行動、同じ体験、同じ疲労、同じ恐怖も、
状況によって正反対の効果をもたらすのである。
では、仕事と娯楽の境目は、どこにあるのだろうか。
お金がもらえるから仕方なくやるのが仕事で、
お金を払ってでもやりたいのが娯楽。
そうだとしたら、やりたいか、やりたくないかが、
その境目を作り出していることになる。
遊園地には、行きたいから行く。
だからそこで体験する、恐怖も、不安も、疲労も、楽しい。
逆にそういう刺激がないと、お金を払った意味がない。
確かに、平穏無事で刺激のない遊園地など、
誰も行きたがらないだろう。
では、人生はどうなのか。
私たちは仕方なく生きているのか、
それとも、生きたいから生きているのか。
残念ながら、自らの意思で生まれてきたという記憶が、
私たちにはない。
つまり、気がついたら生きている、という状態なのだ。
だがきっと、私たちは自ら選択したのだと思う。
人生という名の遊園地に来ることを。
そう考えれば、人生で体験する恐怖や、不安や、
事故や、病気は、すべてアトラクションなのかもしれない。
何も起こらない人生と、山あり谷ありの人生。
もしも生まれる前に、自分で選べるのだとしたら、
どちらを選ぶかは明白ではないだろうか。
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