このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。
『めまい』の見せる力について。
『めまい』という映画はとても人を不安にする。もともとヒッチコックという監督は人を怖がらせればそれでいいという人で、それが大胆でストレートな作風となりいわゆるヒッチタッチという作家性へとつながっているのだと言える。
『めまい』の面白さは、いつものように状況に翻弄される主人公の危うさにある。そして、いつものようにそれを的確な技術で作り込んでいくことで、その不安は多くの観客にとって「自分自身の不安だ」と同化させるだけの力を持つのである。
ドリーズームという手法がある。ズームレンズを取り付けたカメラの真ん中に役者をおいて、カメラをスムーズに近づける。そうすると、普通は人物が大きくなってしまう。でも、近づけると同時にズームを広角側へ動かすとどうなるだろう。役者の画面内のサイズは変わらずに、レンズ自体は広角になり、背景が遠のいていくように見えるのである。
この手法は『めまい』のなかの高所恐怖症という状況を、多くの観客に説明ではなく画として見せることに成功している。と、同時に多くの監督たちに感動を与え、何百と言えるほどの作品に同じ手法が使われることになったのである。
おそらく、言葉たくみに高所恐怖症をモチーフとしたドラマを創ることも可能だっただろう。しかし、ヒッチコックは映画というジャンルで、最高の効果を求めたのである。最高の効果とは、観客がスクリーンを見ただけで理解できる、ということだ。
人はいつも言葉に傷つけられ、言葉に勇気をもらう。しかし、実際に多くの人たちを突き動かすのはそこに揺れる一輪の花であったり、確実な一歩を踏み出そうとする人の背中であったりする。つまり、見えるということがとても重要なのである。
翻って、いまの世の中はどうだろう。できるだけ、生々しさを排除し情報としてそぎ落とされたものだけを伝え合おうとしているかのようだ。昭和の世代からすると、電話で直接話をしたほうが話が早い、と思えるのだが、最近の若い世代は仕事先からの電話を嫌うらしい。直接話すよりもメールがほしいと要求する。「だって、証拠が残るし、お互いに都合のいい時間に確認できるじゃないですか」ということらしい。
ヒッチコックではないけれど、「目を見開いてよく見やがれ」と言ってみたくなる。もちろん、会社でその言葉を口にするときには、見られても恥ずかしくない凜とした立ち居振る舞いが求められるのだけれど。
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。