経営者のための映画講座 第88作『こちらあみ子』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか? なになに、忙しくてそれどころじゃない? おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者であり、映画専門学校の元講師であるコピーライター。ビジネスと映画を見つめ続けてきた映画人が、不定期月一回くらいの更新です。読むロードショーでお愉しみください。

『こちらあみ子』から聞こえる「応答せよ応答せよ」という声に応えられるか?

主人公のあみ子は小学五年生。広島の小学校に通っている。素直でいい子なのだが、素直すぎて時々トラブってしまう。たぶん、病院に行ったら適当な医者から適当な病名を付けられてしまうかもしれないなあ、と思うくらいに自由奔放だ。

自由奔放だから周囲の人を笑顔にもするし、傷つけたりもする。そういう意味であみ子は優しくて残酷だ。そして、小学校も五年生くらいになると、自分がそんなふうに思われていることくらい、あみ子だって気付いている。気付いているからこそ、あみ子は笑いながら怯えながら暮らしている。

やがてあみ子は、もっと自分自身で生きようとする。そして、そんなあみ子のやることなすことが、周囲を不安に陥れる。死産した母のために、あみ子が作った弟の墓は母を精神的に追い詰める。あみ子が部屋にこもると、成仏できな弟の声が聞こえる。そのことを父に告げると、父はあみ子を恐れるようなってしまう。唯一の友だちだった男の子は、あみ子が弟の霊を恐れて歌う「お化けなんかないさ」という歌のしつこさに耐えきれず、あみ子を思いっきり殴ってしまう。誰もあみ子をわかってくれないし、あみ子も誰のこともわからない。

この映画を観ていると、ほとんどの観客があみ子に同化していく。こんなにも周囲から理解されないあみ子なのに、観ている私たちは知らず知らずあみ子をわかろうとし、やがてあみ子として周囲を見始める。それはきっと、これまでの人生のなかで、人に理解されず打ちひしがれた眼差しで見渡した風景が、映画の中に繰り広げられているからだろう。

誕生日プレゼントにもらったトランシーバーを抱えて、「応答せよ、応答せよ、こちらあみ子!」と叫ぶあみ子の声は誰にも届かない。あみ子のトランシーバーのもう片方を持っている友だちなんていない。だけど、と思う。仕事でもなんでも、思ったことを声にして「応答せよ、応答せよ」と叫び続けることが大事なんじゃないかと。システムを作って、相手にトランシーバーを確実に渡して、「応答せよ」という言葉も「こちらあみ子」という自己紹介も必要のないコミュニケーションなんて、本当に意味があるのだろうか。

もしかしたら、何も伝えることがなくても、「応答せよ」と叫び「こちらあみ子」と叫ぶことが大切なのかもしれない。そんなことを忘れた「経営」になんて、僕は興味がない。

【作品データ】
こちらあみ子
2022年制作
104分
監督・脚本/森井勇佑
出演/大沢一菜、井浦新、尾野真千子、岡村天晴、大関悠士
原作/今村夏子
音楽/青葉市子
撮影/岩永洋
編集/早野亮

著者について

植松 雅登(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。映画学校で長年、講師を務め、映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクター。

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