大阪・兵庫を中心に展開する、高価買取・激安販売がモットーの『電材買取センター』。創業者である株式会社フジデン代表・藤村泰宏さんの経営に対する想いや人生観に安田佳生が迫ります。
第15回 同じ人と二度結婚した理由
これまでの対談では、あまり藤村さんのプライベートには触れてきませんでしたが、今日はいろいろと聞かせていただこうと思いまして。…大丈夫そうですか?(笑)
プライベートの話題…あんまり会社でも話したことないですけど、いいですよ(笑)。
ありがとうございます。では遠慮なく…(笑)。昔、一緒にお食事をしていた時に、藤村さんが「同じ方と2回結婚している」と仰っていたのが印象に残っていまして。いったいどういう経緯でそうなったのかな、と(笑)。
あぁ、その話ですか(笑)。別に大したエピソードはないんです。会社を創業して貧乏になっちゃったから一度お別れして、でもその後また結婚してもらった。ただそれだけです。
ただそれだけ、と言うにはあまりにも濃いエピソードな気がするんですが(笑)そもそも1度目の結婚は、藤村さんがおいくつの時にされているんですか?
25歳の時でしたね。
ちなみに奥様とはどうやって知り合ったんですか?
前回の対談に登場した村井がいたスポーツクラブです(笑)。だから村井も、僕の妻のことはよく知っているんですよ。
そうだったんですね。出会った頃というのは、まだ藤村さんも会社員で安定した職に就いていたんですよね?
ええ。結婚から約1年後に独立したんですが、全く稼げなくて。あまりに貧乏な生活をしているから、妻の両親や親族から「ウチの娘がこんな貧乏するなんて可哀想や」とか「もう別れて実家に戻った方がええで」とか、いろいろ言われちゃって。
なるほど、そうでしたか…。それは藤村さんも奥さんも辛かったでしょうね。
妻の親族って警察官とか国家公務員とか、いわゆる「お堅い仕事」の方ばっかりだったので。僕の仕事が不安定で貧乏だったことに、余計に不安を感じられていたんだと思います。だから僕も「そりゃそうやろな」と納得して、結婚から4年ほどで離婚したというわけです。
ふーむ。藤村さんが最初に始めた事業は「引越し屋さん」ですよね? 離婚するほど貧乏だったって、実際どれくらい貧乏だったんですか?
給料が手取りで16万円くらい。会社員時代の退職金も全部引越し屋の事業につぎ込んだので貯金もない状態で。当時住んでいたアパートの家賃も払えなくなっちゃって、最終的には妻の実家に住まわせてもらってましたから。
じゃあ藤村さんは奥様のご実家で「マスオさん状態」だったわけですか(笑)。
そうなんです(笑)。ただ、住んでいたと言っても、僕はずっと事務所に寝泊まりして仕事をしていたんで、全然お家に帰っていなかったんですけどね。同居どころか顔も合わせないような状態で、妻のことも子どもたちのこともほったらかしでした。
あ、もうお子さんもいらっしゃったんですか。
はい、2人いました。
なるほど。じゃあお金がないだけでなく、家のことも子どものことも一切手伝わず、ずっと会社に泊まりこみだったと。…それはもう離婚されても致し方ないですね(笑)。
はい、仰るとおりです(笑)。
それにしてもそこからどうしてまた同じ方と結婚しようと思ったんですか?
やっぱり純粋に「悔しい」という思いがあったからですね。お金が無かったことで離婚になったということは、つまり、自分がちゃんと稼げてさえいれば離婚しなくてすんだやないか、と。
確かにお互い憎しみ合って別れたわけじゃないですもんね。単純に、お金がなかっただけで。
そうそう(笑)。そこから、お金のことだけじゃなくて家族ともちゃんと向き合わなきゃと心を入れ替えましたね。妻や子どもたちの誕生日はもちろん、なにかにつけてプレゼントを渡しに行ったり、養育費も約束の額の2倍払ったり…。
養育費を2倍、ですか?
そうそう。精一杯の誠意を見せようと思って。決められていた額が確か10万円だったんですけど、その倍の20万円を毎月手渡ししに行っていましたね。
すごいなぁ。それで離婚から何年後に復縁されたんですか?
1年後です。
え、思ったより早いですね(笑)。1年かそこらだったら、まだそこまで稼げていなかったんじゃないでしょうか?
全然稼げていなかったですね。ちなみに養育費も借金しながら支払っていましたので、借金はどんどん膨らんでいました(笑)。
なんと…!(笑) その辺りの事情は奥様には内緒で再婚されたんですか?
…はい(笑)。しかも妻の実家を出て家族一緒に住むために戸建ての注文住宅も建てましたからね。もちろん全額ローンで(笑)。
いやぁ、めちゃくちゃリスキーな人生ですね(笑)。とは言え、結果的に事業は大成功して、貧乏生活からも脱却できて、ご家族は幸せになったわけですもんね。本当にすごいことだと思います。
幸せだと感じてくれているかどうかはわかりませんけど(笑)、不自由な生活はしなくてすむようになりました。
お話を聞いていると、藤村さんにとって一番大事にしたい根っこの部分が「家族」だったのかもしれませんね。つまり家族を立て直すことが、自分の人生を立て直すことでもあったというか。
ああ〜、それはありますね。あとは成長した子どもたちに、僕のことを「情けない奴やな」と思われたくなかったというのも大きいかもしれない。
ほぅ…それはどういうことですか?
僕は家族を幸せにするために独立したのに、離婚をしたことで、結果的に不幸せにしてしまったわけで。「独立なんてしないで会社員を続けていた方が良かったやないか」って思って欲しくなかったんです。
対談している二人
藤村 泰宏(ふじむら やすひろ)
株式会社フジデンホールディングス 代表取締役
1966(昭和41)年、東京都生まれ。高校卒業後、友禅職人で経験を積み、1993(平成5)年に京都府八幡市にて「藤村電機設備」を個人創業。1999(平成11)年に株式会社へ組織変更し、社名も「株式会社フジデン」に変更。代表取締役に就任し、現在に至る。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。