2011年に採用ビジネスやめた安田佳生と、2018年に採用ビジネスをやめた石塚毅による対談。なぜ二人は採用ビジネスにサヨナラしたのか。今後、採用ビジネスはどのように変化していくのか。採用を離れた人間だけが語れる、採用ビジネスの未来。
第331回「中小企業はこのスーパーを見習え」
週休3日のスーパーが過去最高益ですか?しかも田舎で。
はい。新潟県五泉市のスーパーなんですけど。ちょっと郊外にある場所で。
過去は年中無休、7時半に空けて20時まで働いていたそうです。
スーパーはそれが当たり前ですからね。
そこを逆に休みを増やして、労働時間を減らして、売り上げも利益も伸びたっていう。
はい。ただこれはどのスーパーでも出来ることではないです。お店にファンがいて、休みの日があっても開いている日にちゃんと来てくれる。そういう関係性があってこそ。
休みを増やして時短にしても売上は変わらず、効率が良くなった分だけ利益が増えると。
売上も伸びてますから。すごいですよ。とにかく顧客ターゲットが明確です。
どういうターゲットなんですか?
「スーパーは長い時間開けて当たり前」みたいな客は来なくていいってこと。これは中小企業のお手本ですよ。
地方だからできる戦略なんでしょうね。都心だったらいくらでも選択肢があるから。「ここは閉まってるなら他の店でいいや」みたいになっちゃう。
いやいや。新潟県の五泉市も食品スーパーってそれなりに競争が熾烈なんですよ。みんな車を持ってるし。
確かに車だったらどこでも行けますね。
車を飛ばすとショッピングセンターがある。イオンもある。新潟県を地盤とする原信ナルスっていう有名なチェーン店もある。
じゃあ思い切った戦略ですね。
逆に言えば、これくらい思い切ってやらないと人が確保できない。
確かに。働く人を集める方がお客さんを集めるより難しいと言われてます。休みを増やして、労働時間も減らして、ちゃんと給料は払って。そうしないと事業が継続できない。
おっしゃる通り。社員を確保して給料を維持するとなると、シンプルに考えて結論はこうなるわけですよ。
普通はできない決断ですけどね。今でさえこの収益なんだから「もっと働かなきゃ」となってしまう。
保守的な新潟県では革命的なことだったと思いますよ。「スーパーがなぜ年中無休じゃなきゃいけないんですか」ってシンプルな問いを打ち出して。
なぜ年中無休なんでしょうね。
ダイエーが始めたんですよ。大規模スーパーが年中無休ってやり始めたから、全員そこについていっちゃった。
もう時代が違いますよ。
そう。人手もいないし長く開けていてもそれほど儲からないし。
思考停止になってるんでしょうね。
おっしゃる通り。忙しすぎて考える時間がないんですよ。
フリーランスにもいますよ。年中ぎっしり仕事を詰めて「仕事を減らすのが怖い」って人。気持ちはわかりますけどね。
気持ちすごくわかります。「いつか仕事が止まるんじゃないか」って思います。
だからこそ立ち止まって考えないといけないんですけど。本当は。
そうなんですよ。もっとお客様が喜ぶ企画とか、サービス内容とか、考えるには時間的な余裕が必要で。
私もフリーで仕事をしてますけど。劇的に仕事が減って暇になる時ってあるんですよ。そういう時は無理して仕事を入れず、新しい企画やサービスを考える。すぐには売れないけど結果的に前より売上や利益が伸びる。定期的な休みって必要だと実感しますね。
採用の立場から言うと「従来のスーパーで勤務したい人」って本当にいなくて。省人化・無人化が進むんだけど、お店の楽しさは減っていくわけですよ。
お店の楽しさですか。
ただ品物が並んでいて「勝手に買いなさい」だったら面白くないじゃないですか。
そうですね。
やっぱり人がいて、面白いことを教えてくれたり、知らない商品を勧めてくれたり。そういう楽しさみたいなもの。
それがいわゆる商いですよ。「今日は美味しいタコが入ってるよ」みたいな。
「どこのタコなの?」みたいなやり取りがあって。楽しい雰囲気を作る人がいると、お祭り的な場所になるじゃないですか。食品スーパーって。
昔の市場はそんな感じでしたよね。季節感もあって。
それを机上の計算で全部無人化したら本当につまらなくなるんです。コンビニだったらいいかもしれないけど。
これってスーパーに限った話ではないですよね。
はい。中小企業は生き残りを賭けてこっちの道に進むしかない。そういう時代だってことです。
石塚毅
(いしづか たけし)
1970年生まれ、新潟県出身。前職のリクルート時代は2008年度の年間MVP受賞をはじめ表彰多数。キャリア21年。
のべ6,000社2万件以上の求人担当実績を持つ求人のプロフェッショナル。
安田佳生
(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。