「ハッテンボールを、投げる。」vol.18 執筆/伊藤英紀
僕は、1961年、昭和36年の生まれです。
山脈の麓近くにある、小さな河岸段丘の田舎町で育った。
小学校の高学年の頃。
暑い夏がくると、友人と自転車で連れだち、
田圃と茶畑に沿ってなだらかに登る麓道の先にある、
清涼な渓流で泳いだ。
早朝には、栗の樹でカブト虫やクワガタ虫を採集した。
夜には、父とオガライトで川面を照らし、タモ網で雑魚とりに興じた。
秋口には野山に分け入り、旬のアケビをもぎって頬張ったこともある。
年の瀬には、古い日本家屋に住む叔母が竈で糯米を蒸し、
広い土間に大きな臼を鎮座させ、父や叔父にまじり、非力な僕も杵を振るった。
つきたての餅を、黄な粉砂糖でからめて食べるのが好物だった。
昭和40年代のことだ。
これらの記憶だけを耳にした人は、素朴な田舎の少年、
という紋切り型のイメージを持つかもしれない。
確かにこれらは、僕の少年期の一側面だ。
だが、僕の暮らしには、別の一側面もあった。
小学5年生の頃、5段変速のスポーツ自転車を買い与えてもらった。
最新のディスクブレーキ、ラジアルタイヤ。
左右にピカピカと光が流れるゴテゴテのテールライトの方向指示器付き。
自転車の後輪にはサイドバックをぶらさげ、
野球のグローブとカルビーのスナック菓子やコーラを詰め込んだ。
ラッパ型のクラクションを「パフッ!パフッ!」と意味なくやかましく鳴らして、
近所のスーパーマーケットに駆け込む。
ケチャップたっぷりのアメリカンドッグを買い食いするためだ。
前後の色が違うツートンのGパンを履き、
ワンサカ娘のレナウンのTシャツを着て「イエイイエイ!」。
空地で見つけたエロ本を何冊か掘っ立て小屋に隠して、放課後むさぼり読んだ。
ゴールデンハーフというアイドルの『24000回のキス』を歌いながら、
ドリフターズの荒井注の真似をして「なんだバカヤロー」を繰り返していた。
家に帰ればウルトラマンエースを見るが、「子どもっぽいな。もう卒業だ」と、
夜中に忍び足でテレビをつけ、11PMでお色気ダンスを盗み見た。
由美かおるのおっぱいとお尻見たさに、映画『しなの川』を見に行ったこともある。
観客の中で小学生の顔は、僕と友人しかいなかった。
素朴な田舎少年、ではない。
昭和40年代、それなりの商業を持つ田舎町で育った少年の多くは、
このように古い情緒と昭和の雑駁な賑わいが、混在していたのだと思う。
1987年、バブル景気の熱狂。
六本木でボディコン、ワンレンたちとユーロビートで踊りあかし、
高価なシャンパンをあけ、アルマーニでキメてアウディを駆る。
バカンスはハワイだ。
好景気に、都市部のサラリーマンたちは沸いた。
青天井のバブル景気の派手な熱気と享楽を、
「あの頃はよかったよねえ」と懐かしむ人をテレビなどでよく見かける。
若い人は、バブル期は日本中が好景気に火照り、高揚していた、
と紋切り型のイメージを持つかもしれない。
しかし、20代半ばの僕は熱狂の内にはいなかった。
熱狂の時代とは、熱狂の内側とそれを冷たく眺める外が、混在する時代である。