「ハッテンボールを、投げる。」vol.41 執筆/伊藤英紀
仕事がら、『イノベーション』という言葉を
それなりに耳にします。
いろんな会社の資料の中にも、会話の中にも
それなりに出現します。
技術革新によるイノベーション、
プロセスイノベーション、
オープンイノベーション、
非連続のイノベーションとか。
ときどきですが、その言葉が使われる文脈に、
ちょっと保留したい気持ちというか、
ちいさな違和感をおぼえるときがあります。
それは、イノベーションという概念が、
イノベイティブという言葉が不似合いな
『ふつうの仕事』とまったくつながりのない
異界に置かれているように
感じてしまうときです。
ふつうの仕事というのは、たとえば、
けっこう親切な街角の不動産屋さんとか、
けっこうおいしいカレーライスを30年間
変わらず食べさせてくれる喫茶店とかです。
イノベイティブ
=(斬新で、これまでを大きく変革するもの)
非イノベイティブ
=(斬新も変革もなく、繰り返されるもの)
この認識に特に違和感はありません。
ただ、イノベーションという言葉の発信元から、
この2つがセパレートされているニュアンスというか、
「非イノベイティブはこれからの時代ダメだ」
死語だけど「負け組になる」みたいな
ニュアンスやらが、言葉選びの
底のほうからにおってくると、
う~ん、そのように偏った狭い考え方からは、
イノベーションは生まれないんじゃないかな、
と反射的に思うのです。
なぜかというと、
快適を生むイノベーションは、
快適を生む非イノベーションと、
『快適』でつながっているじゃないですか。
人々のために快適を生み出すという点は、
ふつうの街角の親切な不動産屋さんや
カレーがおいしい喫茶店も
おんなじじゃないですか。
イノベーションは、非イノベーションと
分け隔てられた、より上位の階層的な
異界から生まれるんじゃなく、
『フラットで自由な多様性』の中から
生まれるのだ、と思います
イノベイターがめざすのは、
『もっと自由でここちいい価値観』のもと、
『もっと自由でここちいい働き方』で、
『もっと自由でここちいいサービス』を生み出し、
『もっと自由でここちいい社会』を
つくることだと思います。
彼らがめざす、『自由でここちいい社会』には、
その不動産屋さんも、あの喫茶店も
不可欠な存在のはずです。
もしイノベーションの語り手の眼中に、
親切な不動産屋さんや
おいしいカレーの喫茶店がないとすれば、
多様性を失ってしまっている
ということになります。