【コラムvol.63】
おとなぶりっこ。

「ハッテンボールを、投げる。」vol.63  執筆/伊藤英紀



自分がいちばん不幸せだったときは
いつだろう?
そう考えたことはありませんか。

みなさんもそうであるように、
振り返れば僕にも悲しいときや
精神がささくれだったときは、
それなりにありました。

「あのときは沈んでいたな俺」と
思い出すこともできます。

でも、その“あのとき”が不幸だったのかと、
いま問い返してみると
どうも不幸という感覚がしっくり来ません。

人は、「あれがあったから今がある」と、
過去を現在に組み込んで
位置づけることが多いので、
「今に生かされている」という思いが、
不幸せ感を上塗りしているのかもしれない。
みなさんはどうでしょう。

“喉元過ぎれば”というやつなのでしょうが、
とはいえ、
「喉元過ぎたから不幸を忘れただけで、
本当は不幸だったんだよ」
と、いまの気持ちに抗い、
改めて不幸を再確認するというのも
なんだかおかしな話です。

不幸せの大きさは出来事の中身や
人の感じ方によるのは当たり前です。

過去の不幸せな出来事が、
現在もずっと心を圧しつぶしそうで苦しい
という人も世の中にはたくさんいます。

でも統計をとってみれば
僕みたいな人も案外多いのではと思う。

ところで子供は、
「人生は幸せと不幸せでできている」
ということが、よくわかっています。

子供の感情は笑い(喜び)と泣き(悲しみ)の
起伏が激しく、まるで幸せと不幸の
ジェットコースターのようだからです。

そして、大人は、
「いくつになっても子供の心を失いたくない」
とけっこう言います。

ということは、そんな大人は
幸せと不幸のジェットコースターに
乗って生きたい、ということか。

起伏が短いスパンで繰り返しやってくる
ジェットコースターであれば、
少なくとも不幸せは長続きしないし、
幸せを何度か味わえる。
上塗りもすぐにやってきます。
倦怠はなく、スリルがある。

大人になるということが、
満員電車の中のように、
騒がずじっと耐えてやり過ごす時間が増える、
ということであれば、
それはやはり退屈だし、虚無的です。

もしも、ガキどもだけをギューギューの
満員電車に乗せたら、きっとお祭り騒ぎに
なるんじゃないかなあ。

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