生きている会社

生と死の境目。
人間の場合、それは医学によって判断される。
呼吸しているかどうか、心臓が動いているかどうか、
脳が活動しているかどうか。
息がなく、心臓が止まり、瞳孔が開いたままの状態。
それを「人間の死」と医学は断定する。

ここで問題になるのが、
いわゆる植物状態の人間への対応である。
心臓は動いているが、脳のほとんどが死んでいる状態。
中には自力で呼吸することすら出来ないケースもある。
もちろん運動や食事などは出来ない。

つまり医学的には「完全な死」ではないが、
自力では生きていけない状態。
医学と科学によって生かされている状態。
それは果たして生きていると言えるのかどうか。
その答えは国や地域や法律によって、
または個々の価値観によって変わる。

完全なる死。
それは会社で言えば倒産または廃業である。
即ち法人としての登録の抹消。
手続きによってその会社はもう「存在しなく」なる。
会社も人間も完全なる死はある意味わかりやすい。
分かりにくいのは不完全な死である。

いや、人間の場合はまだ分かりやすい。
言うなればそれは「不完全な死であることが
分かっている状態」であるからだ。
だが会社の場合はそうではない。
ベッドに寝続けているわけでもないし、
器具に繋がれているわけでもない。

だから非常に分かりにくい。
しかも人間と違い、会社は延命し続ける事ができる。
お金という血液さえあれば
会社は永久に死なないのである。
もちろん現実的には延命にも限界が来る。
単なる延命に金を出し続ける人などいないからである。

医学や法律は死んでいない状態を定義することは出来る。
その定義によれば、
死んでいないことは即ち生きていることである。
だがそれは本当に生きていると言えるのだろうか。
死なないこと(潰さないこと)が
経営の最重要課題であると公言する経営者は多い。

死なないために売上を伸ばし、
死なないために経費を削り、
死なないために社員をリストラする。
だがそういう会社が本当に生き残っていけるのだろうか。
もちろん死なないための努力は必要である。
だがそれが目的になってしまったとき、
会社はその存在意義を失う。

何のために生きているのか。
その答えを持つ会社と持たない会社。
そこが生死の境目となるだろう。
生きている会社には人が集まり、
生きていない会社からは人が離れていく。
自分の会社は生きているのかどうか。
今一度、見つめ直す必要がある。

 


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