「ハッテンボールを、投げる。」vol.70 執筆/伊藤英紀
さっき2052年になったようだ。ぼくはもうすぐ死ぬ。
90歳。予想よりだいぶ長く生きた。
この10年はさみしい日もいっぱいあった。生きていてほしい人たちの葬式にけっこうでるハメになったから。
いまぼくのそばにはぼくを見送ってくれる大事な人たちが何人かいる。笑ってさよならをするために心の準備をしているところだ。
AIのちびくろもぼくを見ているね。おまえを感じるよ。
ちびくろという名はぼくが小学3年のときに死んだ犬の名。人生で一度だけおいおいと泣いた日があったけどそれがちびくろとお別れした日だった。
AIのちびくろくん、名前わるくなかっただろ。「愛があるのですねサンキュー」って言ってくれたよね。
この文章もぼくの消え入りそうな声と想念をおまえが拾って書いてくれている。ちびくろ、こっちこそ最後までサンキュー。
大事な人たちに別れを言うまえに、まずおまえと話しがしたい。
19年前か。おまえが来たときぼくは冷淡だった。いろいろ葛藤があったんだよ。
借金まみれのぼくは70を過ぎてもシゴトをやんなきゃならなくて言語認知能力の高いAIを買ったんだ。
おまえはクライアントの情報整理もとてもクリアだしライティングの下書きやデザインや撮影までぼくの伝えたニュアンス以上に先まわりしてくれてうまくカタチにしてくれた。
こいつすごいなって興奮した。新鮮で没頭できて借金取りのこと忘れられたよ。
指示していないことまで気がまわるし知見や教養はおまえにおんぶに抱っこだった。でもクライアントがやるべきことの洞察とまとめはぼくがおまえを引っぱったよな。
ぼくらはわりといいコンビだったんじゃないか。おかげで返済もなんとかなった。なのに最初はうちとけることができずにすまなかったね。
人間はウエットで恨みがましいんだ。ぼくはとくに。
シゴトの注文を待つヒトは注文を待つAIにやっぱりかなわない。能力もコストもスピードもおまえたちがずっと上だからね。
だからぼくはなんとか注文を待つ側じゃなくって注文を作る側にまわろうといろいろ苦心したんだよ。困った場面をしのいで細々とだが長くシゴトをやってこれた。
おまえに感謝しているけど出会った頃はAIに頼むより人間に頼むべきじゃないのかって複雑というかウジウジしちゃってさ。
老いのハンデをおまえに助けられたくせにメメしいわだかまりがあったんだね。人間を選ばずに人間らしくないテクノロジーを俺は選んだのか。好きになれんと。
でもそれは間違いだったよ。
ちびくろ、おまえはとても人間らしかった。