「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
108通目/大野からの返信
「苦痛領域に心開く」
言い方は違えど同じ事ですね。僕の観点だと、その人が苦しんできた事、困ってきた事、その苦痛の側に才能というか使命があるような気がします。決して好きな事、得意な事ではなくて。そして、早咲き、遅咲きがある。好きな事、得意な事の側にもし才能があるなら、おそらくほぼ早咲きです。かなりの偏見ですが。笑
特に今、自分の好きな事が見つからないって方も多いと聞きます。その様な場合、自分が苦痛領域に心開くと良いのではないでしょうか。僕でいえば、女手ひとつで育ててもらった事もあり、生きるってそんなに深刻なことなのか?に苦痛を感じてきたのですが、今、僕が天職だと断言できる仕事が出来ているのはその苦痛があったからこそ。
前回107通目/安田「従うべきはどの声か」
もちろん私も「すべてのことがダメ」だと言っているわけではありません。おっしゃる通り、対話している層が違うのだと思います。「何かができない」「苦手を克服できない」などは些細なことだと私は言いたいのです。真に諦めるべきでないのは自分の人生です。つまり自分自身を諦めないこと。そのためには枝葉を捨てたほうがいい。人には得手不得手がある。好き嫌いもある。それはあるべくしてあるものだと思います。それは自分を生かすために持って生まれたアンテナのようなものです。頭で考えるのではなく心から湧きでる感情に素直に従う。そうすれば自ずと道は開ける。つまり自分の感情こそが従うべき声だということ。
ー安田佳生より
前々回106通目/大野「従った声の通りのことが起きる」
好き嫌いではなく、それが本質だと信じています。また、安田さんの言われる認めることの大切さを決して否定する立場も全くとってはいないんですよ。対話している層が異なっているだけかも。無理だと認められるという事そのものは、違う何かを可能性として信じられているからできる行為です。他の可能性の全ても無理だと思っていたら、生きてはいけないからです。僕もプロのミュージシャンになるのを諦めました。いいえ、諦められたのです。ここ重要です。夢を実現した人。目標を達成した人。それは諦めなかった人では無いのです。諦められなかった人なのです。どの声に従うか?但し、結局は従った声の通りのことが起きるわけですが。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/