不便の値段

人は便利なものにお金を払う。
ここに異を唱える人はいないだろう。
では不便なものはどうか。
不便なものにお金を払う人などいるものか。
それが多くの人に共通する感覚だと思う。

つまり多くの人は現実を見ていないのである。
早いという便利さを売りにするファストフードと、
遅いという不便さを売りにする高級フレンチ。
どちらが高価かは調べるまでもない。

人里離れた不便な場所にあるレストランとか。
わざわざ時代遅れの
不便な織り機を使ったマフラーとか。
修理するのに何百万円もかかる
不便なクラシックカーとか。

自分で焼いて食べなくちゃいけない
不便なバーベキューとか。
不便の極みとも言える一人キャンプとか。
不便はなかなか贅沢で高価なものなのである。
それが現実だ。

人間は無駄を消費して生きる動物である。
このメルマガを愛読してくれている人には、
もはや当たり前の感覚になっているかもしれない。
だがその感覚は商売をする上でとても貴重な
ものなのである。

多くの人は無駄をなくすこと、便利にすること、安く
することが、儲けにつながっていると信じ込んでいる。
もちろんその方法で儲けることも可能ではある。

ただとてつもなく大変だということ。
どんどん規模を大きくし、
競争に勝ち続けたものだけが、利益を独占できる。
そこは巨大なレッドオーシャンなのである。

無駄で、不便で、高価格。
この売れそうにないものを売ることが、
私のお勧めする小さなブルーオーシャンビジネスだ。
そこには想像をはるかに超える無数の市場が眠っている。

便利なものには価値がある。
同様に不便なものにも価値がある。
まずこの感覚を理解することだ。
わざわざ重いものを持ち上げ、
指定されたものだけを食べるという不便。
これを売りにしているのがライザップ。

人が求める便利は意外と少ない。
だが不便は無限に存在する。
いかにして新たな不便をつくり出し、
いかにしてそれを価値に変えるか。
これこそがビジネスの基本なのだ。

わざわざライブに行って音楽を聴くのも、
手間ひまかけて盛り付けたデザートを食べるのも、
根っこはすべて同じ。不便がもたらす至福の時間。
人はそれを欲せずにはいられない。

とてつもない時間を費やして恐竜の骨を掘り出し、
その骨を磨いて組み立てて立派な博物館に飾る。
これを文化と呼ぶか、税金の無駄遣いと呼ぶか、
新たな金儲けと呼ぶか。
そこにセンスが問われているのである。

 

この著者の他の記事を見る


尚、同日配信のメールマガジンでは、コラムと同じテーマで、より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」と、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。全て無料でご覧いただけます。
※今すぐ続きを読みたい方は、メールアドレスコラムタイトルをお送りください。
宛先:info●brand-farmers.jp (●を@にご変更ください。)

 

1件のコメントがあります

  1. 不便や無駄を商売というか関心毎にする。便利や効率性ばかりを追求する自分がいる。ハッと気が付いたコラムでした。ありがとうございます。

感想・著者への質問はこちらから