「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
111通目/安田からの返信
「答えになっているか分かりませんが」
好きで得意なことが仕事になれば最高です。ではそれが一致しない場合はどうすればいいか。選択肢はふたつあります。①好きだけど得意でないことを得意になるまで極める②好きではないけど得意なことを好きになるよう工夫する①音楽や野球が好きだけど才能がない。そこで努力するやり方。②営業で成績は残せるけど決して好きではない。それを好きになるやり方。私のオススメは②です。なぜなら①は競争の激しいレッドオーシャンだから。では好きでないものを好きになることはできるのか。私はできると思っています。なぜ営業が好きでないかを徹底的に考える。好きな方法で成果を出すやり方を編み出す。すると得意と好きが一致していく。
前回110目/大野「苦手をどうしても克服したいという衝動というか憧れというか」
マイノリティーな意見なのは自覚しております。それでももう少しお付き合いください。確かに安田さんの言うスイッチという表現が正しいかも知れません。ただ、そもそもそのスイッチがオンにならなければ才能が開花されない。僕はやはり苦手な事の中に、そして、それでもその苦手をどうしても克服したいという衝動というか憧れというか、その中に使命・才能が隠れている。否、あえていうと隠されている。そこから好きになったり愛する様になっていく。最初から好きという感覚や感情の中を探すより、苦手な事あたりに真に開花する才能が見つけられるのを待っている気がしてならないんです。ふたりが参照している体験が違うだけかも知れませんが。
ー大野より
前々回109通目/安田「ひとつ賛同できないこと」
つらい経験がキッカケとなって何かに目覚める。ということは確かにあります。私も人生で何度かそういう経験があります。振り返った時に「あれは必要な経験だった」と思える。ただそれは「苦痛を我慢した先」ということではないように思います。苦しみや困難は人生につきもので、生きている限りそれを避けて通ることはできません。その経験が結果的に人生を好転させることもある。だから困難な出来事も前向きに捉えることが大事だと思います。ここまでは同じです。ひとつ大きく違うこと。それは苦痛の側に才能があるというご意見。ここはどうしても賛同できません。苦痛は単なるスイッチであり才能は好きや得意の側にある。これが私の経験則です。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/