155通目/安田からの返信 「誰のための完全?」
もしも経済的に完全を目指すなら労働者→管理者→経営者→投資家へと進んでいくしかない。でも全員が投資家(完全なる金持ち)になったら社会は成り立たない。だから完全なる存在(儲かる会社)の一部になれってことでしょうか。「共同作業者として完全と一体になれる」って、ちょっと都合が良すぎますよ。誰もそんなものになりたくないし、気持ち悪いです。なんだかんだ言って、結局は組織の一部として洗脳しようとしているようにしか見えません。会社はこうあるべきだ。仕事はこうあるべきだ。あなたはこうあるべきだ。なぜならそれが完全な状態だから。こんなことを続けてるからみんなやる気をなくすんですよ。
前回154目/大野「そう見えてしまう」
安田さんの表現方法はとても魅力的です。ただ、完全が実際にあるのと人間が完全になれるか?はまた別の話ではないでしょうか。完全なる存在の一部にはなりうる。共同作業者として一体になれる。そういった何かを感じずにはいられない。その一連の可能性を畏敬の念と呼ぶのではないでしょうか。それは人間の眼で捉えるとき、刹那的なものかもしれない。それでも永遠の如くその刹那には間違いなく完全という名の可能性や息吹がある事を僕たちの魂は知悉している。懐かしさすら感じる。そして観る角度よっては、この前提を持たずに生きる事が、尊厳や摂理を蹂躙してしまうという愚行に人間を走らせてしまっている。僕にはそう見えてしまう。
ー大野より
前々回153通目/安田「あるべき自然な姿とは」
今が完全ではないから完全なものをめざす。これはつまり完全(正解)があるという前提ですよね。その前提は人間のおごりだと思えてなりません。なぜ自然界に進化が起こるのか。それは変化の副産物だからです。変化することはとても自然なことです。なぜなら同じ状態(カタチ)に留まるためには膨大なエネルギーが必要だから。もちろん変化にもエネルギーは必要ですが自然はそれを循環という無限ループで支えています。停滞も変化もエネルギーが必要だけど停滞ではエネルギーが枯渇する。つまり変化とはあり続けるための自然な姿なのです。川の流れに目的はあるのか。流れることそれ自体が目的なのではないか。私にはそう思えるんですけど。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/