157通目/安田からの返信 「その対象は誰ですか?」
畏敬の念ですか。正直、私はその言葉をよく知りません。使ったこともありません。ググってみると「はるかに自分とかけ離れている偉大な存在に対して使う言葉」と書かれていました。つまり神様とか宇宙とか原理原則ってことでしょうか。だとしたら“畏敬の念”というものは自ら感じるものであって、誰かが強要するものではないと思います。大野さんがこの言葉を使うとき、その対象は何なのでしょうか?それが自然の摂理のようなものならとても賛同できます。しかし会社などの組織やそのトップ、あるいはそのビジョンである場合、私は賛同しかねます。「共同作業者として完全と一体になれる」という言葉の意味がどうしてもしっくり来ません。
前回156目/大野「完全なる存在の一部にはなりうる」
非常に興味深い解釈ですね。共同作業者の意味というか、文脈が全く異なっています。(笑)ここで僕が言う共同作業は安田さんのいうそれとは全く異なるものだとしたらそれは何だと思いますか?ヒントは畏敬の念です。
ー大野より
前々回155通目/安田「誰のための完全?」
もしも経済的に完全を目指すなら労働者→管理者→経営者→投資家へと進んでいくしかない。でも全員が投資家(完全なる金持ち)になったら社会は成り立たない。だから完全なる存在(儲かる会社)の一部になれってことでしょうか。「共同作業者として完全と一体になれる」って、ちょっと都合が良すぎますよ。誰もそんなものになりたくないし、気持ち悪いです。なんだかんだ言って、結局は組織の一部として洗脳しようとしているようにしか見えません。会社はこうあるべきだ。仕事はこうあるべきだ。あなたはこうあるべきだ。なぜならそれが完全な状態だから。こんなことを続けてるからみんなやる気をなくすんですよ。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/