泉一也の『日本人の取扱説明書』第131回「味噌の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第131回「味噌の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

海外旅行から帰ってきて味噌汁を飲む。日本人である自分を感じる瞬間。世界に比較できるものがない安心感がそこにある。脳味噌というぐらいだ。味噌は日本人にとって重要な機能があるはず。

昔は未醤(未だ醤油にならず)といったそうだ。醤油になる前のものという意味であるが「出来損ない」ということ。この出来損ないに重要な味があるのだ。確かに脳味噌も生まれた頃は出来損ない。未だ十分に機能を発揮できてない器官である。

そうこじつけて考えると、味噌というのは「可能性に溢れた未熟さの味」といえるだろう。そして味噌汁を飲んで日本人を感じるのなら、「可能性に溢れた未熟さがうまい!」と感じるのが日本人ではないだろうか。

結論。日本人のアイデンティティーは味噌(可能性に溢れた未熟さ)にあった。

さらに「未熟」というのは、熟成される途中つまり発酵の途中ということである。味噌は大豆が発酵して生まれるが、発酵とはエネルギーを生み出す源である。生命がエネルギーを得るための3つの活動のうちの一つであり、あと二つは光合成と呼吸である。

光合成は光を使って有機物と酸素を生み出す。呼吸は酸素を使って有機物からエネルギーを取り出す。光合成と呼吸は関係性が深い。一方、発酵は酸素を使わず有機物からエネルギーを取り出すのだが、ここで微生物がお助けしてくれる。他者に依存してエネルギーを得ているのだ。

もとに戻ると「未熟」とは発酵の途中にある状態でさらに他者依存。全然ダメダメである。全くもってダメダメなのが日本人とわかっただろう。アイデンティティーとかカッコいいこというから確固とした「存在感」のようなものをイメージするが、そんなものはなかった。

他者依存な全然ダメダメには可能性が潜んでいる。その可能性が「うまみ」なのだ。

これから毎朝、味噌汁を飲むときは「全然ダメダメな日本人」を味わおう。手前味噌であるが、とてもいい話であった。味噌会社からお味噌セットが届くのを待ちたい。

広島にいったら必ず食べて欲しい「新庄カープ味噌ピーナッツ」を作られている新庄味噌さんどうぞよろしく!

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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