第22回 感謝を忘れた会社
【ウガンダでのスピーチ】
ここ数年、お世話になっているヨシノ自動車の社長とともに、ウガンダの現地法人に訪問しています。ヨシノ自動車は、日本ではトラックディーラー。ウガンダでは首都のカンパラに、日本の中古トラックを販売する関連会社があります。
現地法人で働く日本人は1人。その他は20人ほどのウガンダ人が働いています。
国民性だそうですが、ウガンダ人はとても内気で、優しい性格の社員さんばかりです。訪問時には全社員が参加するパーティーが催されるのですが、そのパーティーの席上、社長(ボス)あてに感謝の言葉を伝える時間があります。
昨年は、女性の社員がスピーチしてくれました。
「トラックを販売するということは、ウガンダが発展するということに繋がります。この仕事につかせてもらっている私は、それを誇りに思っています。そして、会社をつくってくれたボスには本当に感謝しています。私は家族にも、友達にも、みんなに私は幸せなのよと伝えています。本当にありがとうございます。私達はこれからも一生懸命に働きます。」
ストレートな表現に、涙がでてきました。
日本では受けたことのないような、感謝をされたのです。(私に向けた感謝ではありませんでしたが)
社長の顔は見ていません。多分感動されていたことでしょう。
【ムネオは感謝されている】
ボランティアや援助、発展途上国ときくと、私達は裏があるのではないかと警戒します。
例えば、一昔前に、ロシアに「ムネオハウス」なるものがあるとのニュースがありました。援助のお金で政治家個人が称賛されて、建物までつくらせて。「ああ、金と名誉の亡者なのね。いやらしい。」そう感じたものです。
動機の是非はともかくとして、世界ではお金や教育、仕事などを平等に得る機会が、驚くほど少ないのを感じます。そこで生きていてもチャンスが見いだせないのです。
ヨシノ自動車は輸出ビジネスとしてウガンダに行ったところ、現地で働くチャンスをつくり、お客様はもとより従業員に対しても、大きな喜びを生み出したのでした。「ムネオハウス」もおそらくそうでしょう。政治的な思惑もあったのかもしれませんが、現地では、教育や仕事を得た人がいるはずです。その人達の喜びは相当なものだったのだろうと想像できます。
【感謝を忘れた会社員】
現在の日本では、就業や成長の機会があるのは当然のことだ、と感じているフシがあります。給料が高い低いが、良い会社かどうかのモノサシになっています。会社のことを「給料を引き出すことができるATM」のような気持ちになるのは、今の日本企業において、いたしかたないのかもしれません。
一方で、事業家、経営者も、給料を上げないと残ってくれないならと、半ば義務的に給料を上げるようになります。
これが長い年月をかけて、企業が作ってきた関係性の最適解なのでしょうか。
経営者は社員が働いてくれることに感謝して、働く側は就業や成長の機会に感謝する。
この感謝を介した関係性が薄くなった会社の出口は、果たしてどこにあるのでしょうか。
【経営者の喜びとは】
経営者や事業家は、事業やビジネスを推し進めることで、社会にインパクトを与えたり、お客様、従業員の幸せを実現していくことが仕事であり、喜びです。
もし私が組織を持つ経営者なら、ウガンダや「ムネオハウス」のように、喜びがストレートに感じられると嬉しいですし、感謝されるならいくらでも事業をやっていきたいと思います。そんな喜びを感じることができる事業のほうが、魅力的に映ると思います。
「感謝を忘れた会社」には、事業家や経営者にとって、社会的インパクト、感謝や喜びを実感することできません。ということは、これから、事業家や経営者の興味も薄れていくような気がします。
だって心身を削って、時には財産を突っ込んで経営しても、あんまり喜んでくれないなんて悲しいじゃないですか。
1件のコメントがあります
感謝は人間関係(親子、愛する人、仲間)や会社の組織人にとって大切な古今東西の共通価値観であるのは間違いではないです。
気になったのは、(会社組織の)経営者は利益を上げてこそ経営者(私も経営者です)でもあるので、社員と基本的な共通価値観を維持しながら、適切な利益を生み出すかが求められているかと思いました。