その127 学力

話の元がyoutubeなので、
伝聞にしてもコソコソと申し上げるのですが、
北欧のとある国では、この20年間、「子どもらしい時間の過ごし方」を重要視して
初等教育を週20時間という短時間で行うなどした結果、
大幅な学力の低下が起こったり校内が荒れたりとあきらかな問題が顕在化し、
近年になって方針の誤りを政府が認める結果になったそうです。

また、社会福祉が世界最高レベルで充実しているために学校教育は完全無償ですが、
学力を補充するために子どもを有料の塾に通わせる家庭が増えているとか。

……なんか、どこかで聞いたことがあるような話です。

とはいえ、テストで計測できるような意味での若者の「学力」を
どこまで重視するべきなのかは古くて新しく、永遠のテーマといえるのかもしれません。

「ビブンセキブンが人生の何の役に立つんだ!」
というようなフレーズは、
若くて尖っている子ならいつの世でもすぐ思うことでしょうしね。

ですが、
そもそも大人の世界で優秀なひとというのは、それなりの割合で
「学力」で評価される時代から優秀なひとであったわけです。

もちろん、テストではからっきしで、社会でめっちゃ強いタイプの方もいますが、
そういう方はより特別なギフト、タレントをお持ちです。

かりに社会で上の方にいる方を
「学力が優秀だった人」と
「学力はなく、それ以外の能力が秀でた人」に乱暴に分けるとしたら、
明確に前者のほうが多数派だと思います。
いちばん多いであろう「どちらの能力も高い人」は、前者になるからです。

ここで、ひとつ仮定をさせていただくと、
子ども世界の「学力」とは、大人社会における「お金」のような
価値ではないかということです。

社会という、絶対的価値が存在せず、
なにをもって良き人生とするかは主観で決めるほかない環境で、
ただ重要な存在として、お金というものがあり、
それが果たす役割はほとんどの人にとって非常に重要です。
お金を持っている人、稼ぐ人ほど社会的価値は高く、
影響力があり、選択肢をたくさん持っています。

必ずしもお金がすべてでないとわかっていながら
個人の価値を測るのにお金以外の共通した指標が存在しないのは、
子どものできることを客観的に見ようとしたとき、
なんだかんだ学力テストを受けさせる以外にないのと同じ構図のような気がします。

……まあ、正直、こんな大きな話をわたくしが扱えるものでもありません。

自信をもっていえるのは、
しいていえばビブンセキブンって、
なんかセブンイレブンに似ているとかですかねえ。
 

 

この著者の他の記事を読む

著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

感想・著者への質問はこちらから