かつて、「女性の年齢はクリスマスケーキと同じ(ように25から急速に価値がなくなる)」という、今となっては暴言がユーモア的に存在しました。これは戦後や高度経済成長期のころではなく、ほんの数十年前のことでした。
どうも、わたくしたちの世界や感覚は思った以上のスピードで変化をしているようです。
オトナの人間というのは、食べるためにお金を稼ぐことも重要ですが、自分の家庭を持つという選択をした場合、そこでの働きも同じくらい大きな仕事となります。
こと男性の場合、現在の子育て世代の方というのは、家庭人という仕事においてはおそらく以前の時代よりずいぶんスキルアップしているように思われます。
社会的、経済的にも女性が家族というグループの主軸であることは今日特別なことではなく、少なくとも、子育てを中心とした家庭のワークは前の世代と比較して男女間でかなりフラット化が進んでいると思います。
と、こんなことを申し上げますと、どこかで怒られるのは必定でございます。
なぜなら、家庭での労務負担配分のリサーチが行われたりなどすると、たいてい未だ不均衡の是正が進まない現実、という結果が出るからです。
当然女性側の負担が大きいわけですが、多少の無理を承知で進めていきますと、先に述べたようにそれらには多分に世代性というものがあり、また、人間の感覚や価値観は知らずと変化しているものです。
家庭を構成してるのは、つまるところ個人のプライベートそのものですから、個別にみて正しいも間違っているもないのですが、世代の違いについては、これも私見ながらひとつ傾向があるように見受けられます。
それは、現役世代の男性が「ふつう」と捉えていることが、上の世代の方だと大概ワンクッション必要になるということです。
たとえば、家庭内のちょっとしたルールを尊重する、というようなことです。
「自分で出したものは片づけてくれ」という指摘があったとき、最初からそんなことは起こらない場合も含め、その通りに振る舞うことが「ふつう」とします。
そこで、「自然にしてるとそれ、俺は意外にできてないな……」というワンクッションが、上の世代ほど存在するのではないか、と想定しています。
逆にいえば、「俺はできてないな…」と思えた人はそのハードルを超えられますが、そうでなかった人は、「ふつう」に達することができないのです。
かくして、今日もどこかでおっさんの靴下が脱ぎっぱなしになる悲劇が繰り返されるというわけです。