その50  悲しき道楽人生

古今東西、ほぼ例外ないと思うのですが、
たくさんモノを持っている人は
同じ屋根の下にいる人にはイヤがられがちです。
換金性があったり、明確に資産価値があるものならまだしも、
たんなる趣味のコレクションとかですと
配偶者やパートナーや家族にとっては
生活空間を圧迫するだけのゴミとみなされることも多いでしょう。

他方、
最近有名なスニーカーコレクターの
インタビューで読んだことですが、
彼の奥さんは部屋単位で蓄えられた靴箱の壁に対して
結婚前も結婚後もまったくの無関心だったそうです。
「理解することもするつもりもなく、だけど存在を認めてはくれる」
というのは
オタク気質の人間にとって
この上ない愛され方ではないかと思います。

コレクションなら所有することが目的たりえますが、
革靴などですとまたプロセスが違ってきます。
あらゆるモノは
価値のマックスは新品の状態です。
時間が経つか使用されることで価値は下落していくものですが、
革靴などの革製品の場合、
使われ方と手入れによって、市場価格を保つまではムリでも
風合いとシルエットの変化により
審美的には「向上」することがありえるのです。

高価な革靴はきちんと手を入れられていることも多く、
そのようにして長年適切に履きこまれた靴というのは
傷はないけれどのっぺりとした新品時の風貌に比べ、
質感に潤いがあり、色艶に深みが出て、陰影に富む、
いわゆる「いい味が出た」状態になったりするものです。

しかしまた、
いつまでもそれを楽しむことはできません。
革にせよなんにせよ
使っていくうち麗しい方向の変化が乏しくなり、
またはそれ以上使用することが「劣化」でしかなくなってしまう
段階になっていきます。

ネットフリマ上では苛酷に使いこんだものを出品して
「アジが出てカッコいいです」と書き添える方もいますが、
それでは
飼い主以外は誰にでも噛みつきかねないペットを
飼い主だけがかわいいアピールするようなもので、
客観的な価値が高いとはいえないでしょう。

できあがった趣味人の場合は、古くなりすぎつつある靴に対して
履き始めには多少痛い思いなどもあり、年月をかけて
たびたびブラシをかけクリームを塗って付き合ってきた
相棒のような一足をそっと「引退」させるのです。
あとは年に数回使用したり、
ときおり眺める観賞用として保管するようです。

悲しいことに、
好きなものに愛を与えても、その時間は永遠ではないのです。

あと、さらに悲しいことに、
その時にはだいたい熱烈に欲しいものが湧いてくるものなのです。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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