とある、個人運営のアパレル系スモールビジネスパーソンのインタビューを聞いていたら、プロモーションはほぼ、SNSのインフルエンサーに依っているとおっしゃっていました。
規模が小さいため、あくまで個人間で物品提供を行うのみで、別のギャラはなし。商品力はインフルエンサーに魅力的に思ってもらえるかどうかがキモである、とのことでした。
売る側としては合理的な戦略ですが、消費者側としてはその商品がどういう経緯で自分の見ているSNSにあるのかというのは、それなりに気になるところかと思います。
ちょっとくらい保険に入ってもいいなと考えているときに、友達(だと自分は思っている)が紹介してきた保険の営業に会うのはやぶさかではないが、それが友達に信用されているからなのか、友達がなにかメリットを受けているからなのかでは、まったく意味がちがってしまうからです。
たとえ水面下でメリットを受けているとしても、自由が重んじられる社会でルールを破っているはいえないようなものですが、それがフェアでない、と捉える人が多いからこそ、ステマの禁止が法的に明示されるまでになったのでしょう。
かくのごとく、「商売」に対する警戒心、不信感は、日本社会では明らかです。
SNSを媒体にした様々なエンタメも、発信者が収益化したり、知名度をビジネスにしはじめると、途端に「アンチ」活動が盛り上がる傾向にあります。
あんなに楽しく発信して、それをいっしょに楽しく見ていたのに、お前は変わっちまった、金に目がくらんでしまったんだ……というノリは、マジであります。
そもそも赤の他人やんけ、という言わずもがなの前提は放っておかれます。
ただし、この批判、攻撃をかわすことができるインフルエンサーというのも一定存在します。
それは、「金の亡者」キャラを最初から敷いているパターンです。
日ごろの発信の中に、ちょこちょこ「自分はお金がほしい」というネタを仕込んでいる人であれば、二次的な営業活動をわりあいスムーズに進められているように見受けられます。
これはちょっとおかしな話でもあります。
われわれ社会で活動している人間の、目的の大部分はお金の獲得であり、そうでない行動の方がイレギュラーとして捉えられています。にもかかわらず、「お金がほしいからやっている」と声に出すのは、冗談めかしているにせよ、「金の亡者」のキャラを被るでもしなければきわめて居心地の悪いものになってしまうのです。
「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」
とはイエスキリストの言葉ですが、わたくしたちの社会はちがう意味で
「金持ちが天国に行けるわけがない」という世界観なのです。