「IQが20違うと人の会話は成立しない」
という説があります。
いわれは複数あるようなのですが、
ポジティブよりネガティブなトピックがウケるのは世の常、
ディスコミュニケーションの事例として
長年みなさまに親しまれているネタのようです。
これがネタとしてすぐれている理由はいくつかありまして、
まず短いこと、あとIQが20という「データっぽさ」、
なにより「誘導性」であります。
誰でも1回聞けば覚えられる容易さでありながら
もっともらしい根拠もついてきて、
そして、「ついでに言ってしまえたらスッキリする気持ち」を
後押ししてくれるというわけです。
ついでに言ってしまいたいことというのは
もちろん
「バカには話が通じなくて困る」
ということです。
IQとはそもそも何を測定するものなのか、
その差はどういう違いをもたらすのか、
そういうメンドくさいことに興味がなくとも、
頭の良し悪しという話題は人を惹きつけます。
そして、これも当然というべきか、
この説を持ち出すときの主体者はほぼほぼ、
話が通じなくて「困る側」であります。
「困らせる側」ではありません。
しかしたとえば
わたくしのような
10人で順位を付けたらなんでも7番目だった人間からしますと、
この話を目にして思うのは
「頭のいい人と話すと自分はとてもラクだが、相手は大変ではなかったのか」
ということです。
だいたい、「IQが違うと~」説の主旨は
「130を超えるような高IQ者となると
比率的に周囲の人間の多くが同レベルということはまずなく、
コミュニケーションが快適な環境を手に入れること自体にハードルがあり、
結果、たとえば生きづらくなったりしがち」
ということだったりします。
つまり、IQという基準で判別できる能力ギャップがある関係では
コミュニケーションに摩擦が生じることは避けがたいことであり、
そのコストは上位の者が支払うしかないということです。
ただ、世の中広いので、
1000人が順番をつけて並んでいたら、
わたくしの後ろにもあと300人くらいいます。
先頭の何十人かにはもしかしたらコミュニケーションコストを
払わせているかもしれませんが、
後方の何人かとのコストを淡々と負担してあげられる、
そんな人間でありたいものです。