その77 自由な高校生

高校野球でひさびさにフィーバーが起こったようです。
熱心に追いかけているファンの方からすれば
大会ごとそれぞれにドラマは存在するし、
今回が特別というわけでもないかもしれませんが、
スポーツにおいては試合でないところに注目が集まって
話題になるということが世間におけるフィーバーなのです。

今回でいえば
話題のチームの生徒たちが長髪であることに代表される、
世代を超えてがっちり受け継がれてきた
いくつもの高校野球世界の慣習を覆す現象があり、
実際、チームの監督はそれらを明確に否定しています。

(直接関係ありませんが、坊主でなければ長髪なのか、
長髪とはなんぞや、という疑問も個人的にございます。
「坊主でない」ことをいうのであれば
「非坊主」ではありませんか。)

一方、大会を運営する側も
ゲームの時短を図ったり、休憩を制度化したりするなど、
真夏の炎天下で開催されることへの
具体的な対処というのが施行されてきています。

後者のほうは長年言われ続けていたことが
やっと動くに至ったという感じでもありますが、
当然、世間の受け止め方はおおむね肯定的です。

いずれも、これらはすべて、
主体が高校生というバリバリの未成年であることから
生じていることといえるでしょう。
もしもオトナがプレーしているのであれば
アマチュアだろうとプロだろうと
当人を含む関係者の間で決めれば済むことです。

しかし、未成年をふくむ社会のルールでも
未成年には決めることができない、というのが社会のルールです。
裏を返せば、坊主にするとかしないとか、
そういったことひとつについても
ボーズなんてイヤに決まってんだろ、と高校生が思うこととは無関係に
全国大会に進む学校なら坊主に決まってんだろ、
とオトナが判断し続けている(いた)のです。

ではなぜ、今になって様々なルールが変わり、
その風潮が広く支持されているのでしょうか。

それは
「未来ある子どもの自主性を最大限に尊重し」
「心身に無用な負担は一切かけるべきではない」
というのが、今の社会が未成年に対して抱いているイメージだからです。

つい十年前まで精神論のカタマリのような甲子園を楽しんでいたオトナたちは
自分たちで変えた社会のルール、雰囲気にあわせて、
いま「自由」な高校生たちを見て楽しんでいるというわけです。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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