以前から、日本の夏には日傘が必須ではないかと思っております。
この夏、町で見かける学生さんなど、
女子学生でも昔と同じように部活で真っ黒に日灼けした人もいますが
しっかりした日傘を差している人も結構見かけますし、
そうかと思えば
年配の男性がふつうの雨傘を日傘代わりに使っている、
なんて様子も幾度か見かけたりしました。
たしかに、わざわざ専用の日傘でなくても十分日よけの用は足りますね。
先日、通勤途中で通りかかったバス停は
大きな通りに面していて、強烈な朝日がもろに降り注ぐ場所でした。
そこにバス待ちの人が列を作っていたのですが、
小学生とおぼしき女の子と、そのお母さんがいました。
なぜ親子とわかったのかといえば、
お母さんのほうが差した日傘を娘さんに差し出していたからです。
娘さんはそのとき、両手でスマホを持っていました。
……古い人間が抱いている古いイメージかもしれませんが、
日傘を差している人と差されている人というと、
撮影中の女優さん(いまは「俳優」さんか…)とお付きの人とか、
モータースポーツのサーキットで
レースのスタートを待っているレーサーとレースクイーンとか、
「何かそこで大事なことのためにいる主役」と
「そのお手伝いをしている人」という
立ち位置で成り立つように見えてしまい、
その母子について、個人的にはまず違和感を覚えてしまったのであります。
しかしすこし考えてみれば、
自分だって子供と直射日光の下で並んでいて、日傘を持っていたら、
日陰は自分で確保しなさい、なんて子供にいうはずもなく
自然と子供のために傘を差しているはずなのです。
ついでに白状いたしますと、
わたくし個人は子供を持っておらず、
子供の世界というものに参加していないため、
「いまどきの親子というのは親が子供にサーヴするものなのかもしれない」
という偏った発想を無意識に抱いてしまったようにも思います。
母子(それすらも本当はわからない)が立っていたという事実以外、
つまらぬおっさんの妄想、戯言でございますが、
状況だけからそんな「絵」を自然に組み立ててしまう、
そんな行為は人間のあるあるなのかもしれません。
ただ、同じく通勤で通るまったく別の町で、
「お母さんは娘さんのランドセルと手荷物を持ち、
娘さんは自分の日傘を差している母子」
というのを毎朝見かけたりもしているんですよねえ……