15年ほど前、東京・日本橋にある海苔屋さんからの依頼で、美味しいものをテーマにした
ウェブサイトの企画とライティングを担当していたことがある。海苔を使ったレシピや対談など5つのコンテンツを一人で回していたのであるが、いちばん大変で、けれど楽しかったのは、室町元子(がんこ)という女性名で書いていたブログだった。
ブログと言っても、まあ、日記のようなもので、東京を中心に(ときには京都あたりまで足を運び)街歩きをし、目にしたものや出会ったお店や人物について自分が感じたことを綴っていくというものだった。1年365日、ほぼ毎日書いていたのでしんどい面もあったが、おかげで東京という街を知ることができ、たくさんのお店も知るようになった。
仕事を早めに切り上げて、「さてと、今日はどこぞの街を歩こうかしらん」などと思いながら、JRや地下鉄に乗り込む。駅に降りたら、計画は立てずに歩きはじめる。食べログなどはまだない時代である。気になる暖簾があったら、くぐり、店主おすすめの品を聞いて、お酒を一杯。池波正太郎さんの名著『散歩のとき何か食べたくなって』さながらの生活を3年ほど続けることができた。
老舗から小料理屋、バーまで。素敵に感じるお店はたくさんあったが、そのなかで何度も足を運びたくなるようなお店は、じつはそう多くはなかった。せいぜいが十指で足りる程度であろうか。
前置きが長くなってしまったが、今月、そのうちの二店から相次いで閉店を知らせる手紙をいただいた。
一店は、日本橋室町にある『かつ野』というお店。もう一店は、渋谷桜丘の『しぶや 三漁洞』である。いずれのお店も、経営不振ではなく、街の再開発の余波を受けてのことだという由。
『かつ野』の女将さんとはずいぶんと親しくさせていただき、お店の謂れから、芳町の芸妓時代の想い出話までいろいろと聞かせていただいたが、『しぶや 三漁洞』さんとはそれほどの関係ではなく、今回のお手紙で初めてお店の謂れを知ることができた。
「昭和四十二年に、尺八の名手でありながら、魚釣りの名手でもあった、義父・福田欄堂が、自分で釣った魚を美味しく食べていただきたいとの想いから、しぶや三漁洞は開店いたしました。
そして、ピアニストでありながら、父に似て釣りや料理が大好きだった元クレージーキャッツの夫・石橋エータローが引き継ぎました。」
と、現店主の石橋光子さんが書くわずか五行の文面から、こちらのお店がお客さまと一緒に綴ってきた半世紀以上の歴史と物語が見えてくるようである。
開店当時から変わっていない暖簾、飴色で味のあるお品書きの短冊、そして、まったく型崩れしておらずそれでいて箸の先がすっと入るブリ大根や、滋味溢れる大粒でぷりっとしたあさりの酒蒸し。
美味しいとは、決して料理だけでなく、こうした物語のすべてを味わうことで生まれる感情なのだと思う。
ブログをきっかけに歩き始めてから今日まで、経済合理主義のもと、東京のあちらこちらでで、物語をもったお店や路地が次々と消えていくのを目にした。いまの東京は、まるで虫食いだらけの広葉樹の葉のようだ。
新しい街が、物語の代わりに手に入れるものはなんだろう。