SCENE:006
社に戻ると営業一部はガランとしていた。全員揃えば三十人以上になるオフィスに、営業数名と事務員しか残っていない。皆アポイントに出ているのだろう。
「ただいま戻りました」
口の中で噛み潰すように言い、自分のデスクに向かう。隣の島田の席が空いているのを確認し、密かにホッとする。こんな気分のときに会いたい男ではない。
自席についてパソコンを開いたが、何もする気にならなかった。
M社の件は、品川で電車に乗る前に直属の上司に伝えていた。上司と言っても自分と二期しか入社年次の違わない二十代の中間管理職だ。リーダーという役職名がついてはいるが、個人でも営業目標を持たされている完全なプレイヤーで、部下のミスにじっくり対応している暇などない。
250万円の契約が落ちたと正直に報告すると、リーダーは電話口で絶句した。その数秒間の沈黙にすら耐えられず、詳しいことはまたあらためて話しますと一方的に言って電話を切った。
PCのデスクトップに並んだWordやExcelのアイコンを見ているだけで気分が沈んでくる。思わず逸した視線の先に、壁にずらりと貼られた営業成績のボードが見えた。一人一枚、今週の売上が大きな数字で書かれている。
俺は自分のボードの数字の横につけられた青色の造花を見て、嫌な気分になった。
青色の花は「ヨミ達成」を意味する。毎週毎日のように原稿の締め切りがあるこの業界では、口約束で掲載依頼をもらい、実際の申込書は締め切り当日にやりとりすることも珍しくない。
「ヨミ達成」というのは、そういった口頭ベースでの申込みを含んだ金額での達成のことだ。たとえ口頭にしろ申込み意思を確認できた売上だから、「ヨミ達成」はニアリーイコール「達成」であり、あの青い花がついた時点で周囲から賞賛の言葉がかけられることになる。
しかし、俺は今週、目標を達成できない。
いや、俺はそもそもM社の250万円を来週再来週分にも分割して計上するつもりだった。このままでは、今月の月間目標にすら届かない可能性が高い。どう考えても、あの250万は致命傷だ。いや、それ以上に、M社からの信頼に傷をつけてしまったらしいことが大きい。仮にM社との取引がすべてなくなった場合、年間の損失額は2000万円をくだらないだろう。
とにかく、M社の件は後でリーダーと相談するとして、この損失を埋めなければならない。PCに向き直りメーラーを立ち上げる。もしかしたらM社から何らかのメッセージが届いているかと思ったが、ボックスに溜まっていたのは商材や施策についての一斉送信メールばかりだった。
「クソ……」
俺は苛立ちを覚えなつつもそれらのメールに目を通していった。割引施策、掲載延長、無料転載、といった文字がいくつも過ぎていく。
今や求人メディアはディスカウントストアの様相だ。安価で掲載期間の長いものがもてはやされる。俺たち販社も、そしてクライアントも、もはや求人メディアで簡単に採用成功などしないことを内心ではわかっているからだ。
かといって求人情報の露出をなくすわけにもいかない。そういうジレンマの中で、できるだけ安く、できるだけ長く、という心理になるのは当然だ。
そんな後ろ向きな状況の中、「本気の提案」だって? 掲載時期と掲載料以外に、一体何を提案しろというのか。
うんざりしながら一通一通を確認していった俺は、次に表示されたメールを見て思わず手を止めた。
差出人は鬼頭部長。タイトルには「研修の件」とある。
ああ、と思った。そうだった。M社のことで頭がいっぱいで、完全に失念していた。詳細はあとでメールしておく、確かに鬼頭部長はそう言っていた。
「このくそ忙しい時に……」
一週間の研修。入社間もないころはそういう比較的長めの研修が何度もあった。社会人の基礎を学ぶマナー研修から商材を学ぶ版元研修、もう少し実践的な営業スキルを学ぶ営業研修などが毎月のようにあり、最も長いものでは二週間まるまる続いたものもあった。
とは言え、3年目のこのタイミングで一体どんな研修を受けさせられるのかは見当もつかなかった。ミーティングルームに呼ばれたのが俺だけだったのも気になる。
メールに添付されていたWordファイルを、微かな緊張を覚えながら開いた。
内容は意外なものだった。
(Scene:007〜008につづく)
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
お仕事のご相談、小説に関するご質問、ただちょっと話してみたい、という方は下記「未来の小説家にお酒をおごる」よりご連絡ください(この方式はもちろん、『安田佳生の「こだわり相談ツアー」』が元ネタです)。