SCENE:026
病院を出た俺たちは、葛西駅に向かって歩き始めた。
「難しい状況ですね」
道すがら俺が言うと、「そうだねえ」と室長も同意する。
「でも、どうして社長は、退職にこだわるんですかね。別に、しばらく休暇を取らせるなり求職させるなりすればいいのに。それでお母さんが元気になったら、戻ってくればいいじゃないですか」
それは病室にいるときから感じていた違和感だった。そもそも社長の態度は、イチ社員に対するものには思えないほど、重かった。会社が大変だからという理由であの男が母親のことを言い出せなかったのだとしても、嗚咽するほど責任を感じるものだろうか。
黙って考えている俺を、いつの間にか室長が横目で見ていた。
「……なんですか」
「いや、私も同じことを思ったよ。ただーー」
「ただ?」
「何か理由があるんだろう。私たちにはわからない理由が」
「そりゃ……そうかもしれませんけど」
室長の言葉を聞いて、俺は奇妙な感覚に襲われた。何か、怒りのようなものを感じたのだ。
室長はそんな毒にも薬にもならない言葉で、この話を終わりにする気なのだろうか。
そして、そんな風に考えている自分に少し驚いた。別に、いいじゃねえかそれで。病院まで呼び出されようが、目の前で泣かれようが、これはあくまでビジネスの関係だ。わざわざ面倒くさい話に首を突っ込む必要はない。以前の俺なら、そう考えて終わりだっただろう。
「まあ、とりあえず行ってみようよ」
「……は?」
所長はそう言って、帰り際に社長からもらった名刺を取り出した。それをまるで太陽に透かすように掲げ、ブツブツと何かを言っている。
「ねえ君、地図読めるタイプ? この住所、ここから近いのかなあ」
「え……今から行くんですか。中澤工業に?」
俺の言葉を無視して、室長は道を走るタクシーに向かって手を上げた。
(SCENE:027につづく)
児玉 達郎|Tatsuro Kodama
ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。
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