【連載第30回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 044)

脅迫と洗脳の違い。高橋の例え話は、悔しいがわかりやすかった。

「……じゃあ、BAND JAPANの正木さんは、会社に“洗脳”されてるってことですか」

もともとはそういう話だった。俺はあの終始笑顔の男を思い出しながら言う。

高橋は「私にはそう見えたわ」と頷き、続ける。

「……というより、それがブラック企業の基本的な方法論なのよ。社員に対して、法律的にも、倫理的にも、あるいは常識的にもおかしい働き方をさせるためには、脅迫じゃダメ。脅迫したって、相手は萎縮し、やがてそのプレッシャーに耐えられなくなって逃げてしまうか、あるいは壊れてしまう。前者ならいわゆる“ブッチ”、後者は鬱病とか自殺とかね。でも、会社としてはそれじゃ困るのよ。働かせ続けることが目的なんだもの。文句を言わず働き続けてくれるロボットみたいな子を作らなければならない」

言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。脅迫で相手をコントロールするというのは、会社にとってもリスクということか。だから、“自分が選択したのだと思わせる”やり方、つまり洗脳を選ぶ。

「……じゃあ、その導入研修っていうのは、洗脳をするための研修ってことなんですか」

「より正確に言えば、洗脳の下地を作るのが最初の目的ね」

「下地?」

「さっきの僕ちゃんの話で言えば、仲の良かった先輩と溝ができたくだり、ね。あの状況を、言わば人為的に作り出すの」

「何をするんです?」

「人格否定」

「……はい?」

「何か適当な理由をでっちあげて、お前はひどいやつだと否定するの。お前はダメだ、お前みたいな人間がいるだけで周りが迷惑する、お前には何の価値もない。そんな言葉や態度を、執拗に投げつける。そしてこのフェーズで重要なのは、情報の遮断。だから、山奥にポツンと建ってるホテルなんか最適よね。スマホや携帯を取り上げればなおよしね。……情報が与えられない中、何度も何度も否定の言葉を受け続けると、自分は本当に価値のない人間なんだと思い始める。あんたが、先輩は俺のことが嫌いなんだと自己嫌悪に陥った、あれと同じ」

「……それで、どうするんですか」

「糸を垂らす」

「糸?」

「一度徹底的に自己否定してしまった人は、どうにか救われようと手を伸ばす。そこに何かしらの糸が垂れてきたら、誰がどういう目的でそれを垂らしたかなんて考えず、無心で掴んでしまうでしょうね。自分を否定した本人からの糸ならなおさらよ。あんたが、先輩からの久々の電話に、喜び勇んで応えたように」

ゴクリ、と喉が鳴った。

なんなのだ、この話。

「思い出して? 社長室での出来事。槙原社長と正木さんの会話」

高橋に言われ、俺は記憶を探る。そして思い出した。「ほんとダメな奴だったもんなあ?」と言う槇原社長の言葉に、「仰る通りです! ほんとクズのような人間で……でも、変わることができました!」と正木は答えたのだ。

「今は価値がないかもしれないが、キミは変わることができる。そのやり方は私たちが教えてあげよう。そう言われたら、否定されまくって拠り所を失った人は喜んで従うでしょうね。それに……ほら、僕ちゃんの調べた情報」

「あ……」

そうだ。野球。正木は野球の試合で怪我をして、それで……

「彼は既に、人格否定された状態だった。そこに、どういう伝手なのかはわからないけど、BAND JAPAN、いや、高木生命が現れて、糸を垂らした。……楽だったんでしょうね、会社としては。自分たちがお膳立てするまでもなく、彼は救いを求めていたわけだから。そして彼は会社に忠実なロボットになった」

頭が痛くなってきた。記憶の中のあの笑顔が、途端にグロテスクなものに見えてくる。

「……そうだとして、どうするんですか」

俺は言った。

「何が?」

高橋がタバコを吸いながら首を傾げる。

「契約ですよ。1200万円とかっていう、すごい見積もり出して来てたじゃないですか。あれ……受けるんですか」

受けるに決まってる。頭の中でそう聞こえた。どこに、こんなすごい契約を捨てる企業がある。1200万円だぞ? 当たり前じゃねえか。

だが一方で、正木の人生はどうなるのだ、と思った。あんな不自然な笑顔を浮かべたまま、この先何十年もあの会社で働くのか?

俺のどっちつかずな感情を読み取ったのかどうか、高橋は数秒俺を見つめた後、言った。

「私は“仕事”をするときにしかお金は受け取らない。それだけよ」

SCENE:045につづく)

 


 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

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