その54 会長の品格 〜 会長になるとどうなるのか 〜

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

 

僕、26歳で起業して、17年ほど会社をやらせてもらってます。
創業して10年位経った頃、創業メンバーで一緒にやってきていた人間(当時常務取締役)に代表取締役社長を譲り、僕は代表取締役会長となりました。
BSが非常に悪い時期だったので、「それならこのタイミングに」と株式もほぼ半分を譲渡し、中小企業としては思い切った他人承継を試してみたんです。
いわゆる対等なビジネスパートナーになったという感じですね。

そんな感じで、僕は「会長」ってやつになってみたわけです。

なってみたは良いものの、そもそも世の中の会長がどんなことをやっているのかわからないんで、「会長って何やるの?」って全くイメージわかなかったんですよね。

で、なってみた「僕の」経験から、「会長」という職を語ってみようと思いました。
ただ・・・

そもそもこれから会長になる人が少ない…
会長っていっても会社によって役割は違う…

・・・ということもあり、いつにも増してなんの役にも立たない記事になりそうですけども(汗)

では、会長になるとどうなるのか?

これはきっと、社長の仕事の委譲度合いにもよります。
(ここでは、社長→会長という流れを前提にしています)
僕の場合、交代してしばらくの間、実は院政みたいな感じで関わっていました。
完全移行の準備期間みたいな感じですね。
で、それから数年後、僕はフィリピン法人立ち上げのために、フィリピンに住み始めることになりますが、そこからガッツリ100%委譲しました。

で、会長になってどうなったか?

 

会長になると起こること その(1)
やることが無くなる
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社長としてやっていたことを棚卸ししていくと、最後に残るのが「決断」でした。
その「決断」する役割を委譲すると、何もやることが無くなります。
社内行事なんかで、スタッフが気を使って社長挨拶的な時間を設けてくれていても、会長挨拶って無いんですよね。
だから何もやることが無くなります。

[僕がおすすめする対策]
→一人遊びが得意になっておく。

 

会長になると起こること その(2)
スタッフとの接点もなくなっていく
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社長としてメッセージを発する機会がなくなると、当然、スタッフとの接点もなくなります。
そして、スタッフが増えれば、「誰あの人」状態が進みます。
そんな環境で、でしゃばって色々発信していくと、周囲はドンドン冷めていきます。

[僕がおすすめする対策]
→気の合う古参のスタッフを見つけて、仕事の邪魔にならない程度に相手をしてもらう。

 

会長になると起こること その(3)
手柄がない
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会社の代表=社長ですから、通常、会社を率いているのは社長という認識を持たれます。
そのため、仮に会長がどんなに尽力したとしても、それは全て社長の功績と認識されます。

[僕がおすすめする対策]
→極めて高い自己承認を持ち、自分で自分を褒めて満足できるようになっておく。

 

会長になると起こること その(4)
ドンドン無能になっていく
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委譲しまくった結果、会長には何も残りません。
そのため、頼られることがなくなるので、ドンドン無能になっていきます。
キレも何もかも失われて、頭の回転もめちゃくちゃ遅くなります。
さらに、人前で喋る機会も少なくなるので、滑舌も悪くなります。

[僕の対策]
→ボケ防止の趣味を持つ。

 

・・・いかがでしょうか?
これが「会長」です!※僕の場合

一般的に、会長は、会社の経営(とりわけ執行部分)から一歩退きます。
社長に就任した人に色々意見したくなることもあると思いますが、誤った舵取りで転覆してしまわない限り、出しゃばらないほうが良いと思うんですよね。
手放した舵をもう一度奪い取るって、個人的にはかっこ悪いというか、そういう会長になりたくなかったので。
つまり、会長も後継の社長もそれぞれ初めて担うポジションで成長を求められるってことだと思うんです。

次のステージに移る際、手放すって大事なことだと思うんです。
例えば、はしごを登るには手を足を、交互に踏みざんから離す必要がありますからね。
手放すと、その手が新しい何かを掴みますよ、きっと。

弊社の承継が上手くいったかどうか分かりませんが、現社長は僕より上手く日本法人の舵をとっています。
とりわけ対外的な交渉や関係性作りについては、高いコミュ力が生きています。
コミュ障の僕には無理ですね・・・

一方、手放しまくった僕はドンドン無能になるばかり・・・(T_T)ウゥ…
結果、「人に頼る」という能力がめちゃくちゃ上がってきましたよ。
手放したその手が掴んだスキルがこれって・・・
そう、僕は、野生回機能力を完全に失った生き物、蚕(カイコ)・・・

 

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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