その128「皆、なにかのイップスかもよ」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「皆、なにかのイップスかもよ」

皆さん、寝付きって良いほうですか?

僕は悪くって、昔から眠くなるまで本を読んだりして、顔に3回本を落としてからじゃないと眠れませんでした。(今ではスマホを顔面に落とす…)

思い返せば、保育園や小学校低学年の頃も眠れなくて、怖くなってくることがあって、そんなときは「僕はなんで、僕って自覚しているんだろう?」と謎に哲学的なことを考え、脳みそをオーバーヒートさせて眠りについていました。
「我思う、ゆえに我あり」とは言うものの、そもそも、「我思う」の「我」ってなんやねん!?と子供ながらに考えてしまっていたわけです。
結果、こうして面倒くさい大人ができあがりました・・・

さて、最近、自分にあった睡眠導入の方法を見つけたんです!
それは、目、鼻、口といった顔のパーツを意識しながら、一つずつ緊張を解いて、弛緩させていくというもの。
そのあと、首や肩、腕・・・と身体のパーツごとに弛緩させていきます。
僕はこれをしてしばらくすると眠りにつくことができました。
スマホを落として顔面にダメージを受けることなく。

「こうすると上手くいく」というルーティーン、験担ぎみたいなのは誰しも大なり小なり持っていると思うんです。
でも、「それが通用しなかったとき、どうしよう?」って考えた事ありません?
いわゆるルーティーン依存症ですよね。
新しいルーティーンを探さないといけません。

それで思い出したことがあります・・・

プロのゴルフ選手がイップスになって、パターが全く入らなくなることがあるそうです。
緊張とか様々な理由はあるそうですが、突然身体が動かなくなったりするそうですね。
それで、治すためにパターを変えたり、握り方を変えるなど、様々なことを試みるそうなんです。

これ、まるで新たなルーティーンや験担ぎを探しているようだなって感じました。
イップスは、医学的にはジストニアという症状に分類されるようで、治療には薬物療法、精神療法、磁気刺激療法などが用いられるそうです。

僕も眠りのルーティーンについて、その効果を失う度にいくつか試してきたわけです。

「我思う、ゆえに我あり」の「我」ってなんや?と考える

本もしくはスマホを顔面に3回落とす

身体の緊張を解いて弛緩する

この他にも細かいものは無数にあります。
あれ!?もしかすると、僕は眠りのイップスなのかもしれない・・・なんて思うわけです。
ルーティーンを見直すのは、一種の精神療法にもなるのかな、って。
仕事で行き詰まっても、カフェに行って仕事をするとか、場所を変えるとアイデアが出てきて捗るとかありますよね?
ところがある日、そのカフェでもアイデアが出ないってことが起こるわけです。
『SLAM DUNK』『バガボンド』の井上雄彦先生もそんなことをおっしゃっていました。
ジストニアとは違うけど、これまで普通にできていたことが、突然できなくなるイップス的なことって、日常起こりますよね。

ところで、僕の眠りの方法、インターネットで検索していて見つけたもので、米軍が使っているテクニックと紹介されていました。
身体を弛緩させて緊張を解いていった後に、実は続きがあるんです。最後の仕上げですね。
それは、静かな湖に浮かぶカヌーで寝そべっている自分をイメージするというものです。
でも、僕はスティーブン・スピルバーグの『JAWS』のせいで、サメが怖くてしょうがなくて、そのせいで得体のしれない深い水にとてつもない恐怖を覚えるんです。
そのせいで、湖の上に浮かぶカヌーに寝そべってリラックスはできません。
水の底から何が出てくるかわかりませんからね。
・・・今日、ちゃんと眠れるかな・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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