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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
今年の3月、僕がやっている空道(大道塾)という格闘技・武道の昇段審査があったんです。
結果はしばらくしてから各支部に通達され、昇段できたことは知っていたのですが、黒帯が届かなかったんですよね。
「お前、ちゃんとお金払ったのか?」と支部長には何度か確認されました。(黒帯の登録料などが必要なのです)
とは言え、審査から2ヶ月以上経ってますから、「こんなピンク頭に黒帯渡して大丈夫なんか!?」と再審議されているのではないかと不安にもなりました。
たまに「黒帯になるための昇段審査って何をやるの?」と聞かれます。
これは武道や流派によって、基準も違えば審査内容も異なると思います。
ちなみに、僕がやっている「空道(大道塾)」の認定証によれば・・・
「大道塾の技術と精神を習得しつつあるものと認め」
・・・という文言がございます。
つまり、本来習得していて欲しい技術や精神のレベルには至っていないものの、習得の可能性があるから引き続き精進しなさいってことなのかな、と。
ということは、審査というのは、技術や精神が「ふさわしいレベル」にあるかどうかを測る機会と言えるのかもしれません。
ちなみに、審査では、準備体操から、パンチやキックなど定められた基本の動きができているかなどを見られます。
昇段の場合、上記のような基本について、皆の前に立って説明をし、手本を見せ、号令を掛けねばなりません。
また、その他の技(投げ技、締め関節など)が正しくできているかも審査項目に入っています。
そして最後に組手と呼ばれる、試合のようなものが行われます。(昇段の場合複数名と連続で組手を行います)
ちなみに、相手も審査を受けていますから、さっきまで普通にしゃべってた人でも、びっくりするくらい本気でぶん殴ってきます・・・
僕は審査の後、毎回、ちょっとした人間不信に陥っています・・・
こま、こうした技術的なこと以前に、「挨拶や立ち居振る舞いなども審査の対象になる」と支部長からうかがっておりました。それができていなかったら話にならない、と。
ところが、この基本的な技術を言語で説明するというのが難しいんです。
僕は支部長の教えを反芻しながら、繰り返し練習していました。
それこそ一人でブツブツ解説の練習をしながら・・・
すると、創始者である東孝塾長が「なぜ基本ではこういう動きをするのか?」「塾長はなぜこれを基本に入れたのか?」を考えるようになったり、「なるほど、◯◯だからこういう動きが重要なんんだ」と小さな発見もありました。
そうして基本の理解を深めることで、創始者が理想とした空道(大道塾)の在り方や理念の理解が深まっていくようでした。
基本という礎の一つ一つが積み重なることで、その上に理想や理念が築かれるわけです。
単なる「突き(パンチ)」の一つ一つが、理想や理念につながる技術と精神を宿したものだったわけです。
ですから、「基本の理解を無くして、理想や理念の理解には至らない」ということなのかもしれません。
これを会社に置き換えたとき、新入社員向けの教育は、自社の理想や理念につながる礎として機能しているのか!?と改めて考えさせられました。
黒帯とは、そうした基本を正しく理解する努力を行い、理想や理念に共感してくれる可能性がある人物、同志と認められた者に与えられる証なのかもしれません。
・・・と、昇段したから、勝手に、都合よく考えているんですけども(汗)
40年以上前、日本で総合格闘技のはしりのようなことをはじめるなど、塾長は格闘技界・武道会での異端児、革新者でした。
きっと、誹謗中傷の類も少なくなかったはずです。
そんな団体を率いる立場にあった塾長は当時30代前半。
その塾長のお気持ちを想像すると、正しく理解し、肯定し、共感してくれた弟子たちの支えは大きかったんじゃないでしょうか。
経営者ってスタッフからの肯定や共感が大きなエネルギーになったりしますからね。
その弟子たちは各地区の支部長となり、そのうちのお一人(現役時代、天才、達人を称された世界チャンピオン)がピンク頭の僕をご指導くださっております。
P.S.
僕の初段の認定証には、「東孝」のお名前でサインが入っていました。
塾長がご存命中に受けた昇段審査だったので、東塾長のお名前で黒帯の認定をいただくことができたようです。
改めてご冥福をお祈りいたします。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。