このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
Never say can’t.
僕はブランディング関係のお仕事をしてまして、もともとはデザイナーなんです。
こんな話をすると、「あぁ、だから、そんな(見た目)なんですね」と言われます。
でも、山下清画伯みたいな軽装に、ピンク髪した40過ぎのおっさんデザイナーには会ったことないんですけどね・・・
さて、こんな僕ですが、キャリア的にはいつの間にかデザイナーみたいなことをし始めて、それでお金をいただくようになってから20年以上が過ぎました。
今では、僕がそのキャリアを歩み始めた頃に生まれた子たちが、新人デザイナーとして入社してくるという、なんだか恐ろしい状況なわけです。
20年もキャリアがあると、彼ら若いデザイナーが悩んでいることなんて、鼻くそにもなれない悩みレベルだったりするんです。
「何でそんなところで躓くんだろう!?」って逆に興味がわいちゃうくらいに。
自分のことを思い出してみたんですが、キャリアが始まった20年以上前、教えてくれる先輩がいなかったんですよね・・・
最初はアパレルでTシャツのプリントとか、DMやWebサイトのデザインを始めたんですけど、パソコンの電源のつけ方が分からないレベルから始まり、本を買って、試しての独学でした。(当時、今ほどネットの情報は豊富じゃなかったですし)
その後、小さな広告制作会社に転職しますが、先輩といっても社長の奥さんがいらっしゃるだけで、誰も教えてはくれません・・・
こんな状況でしたから、いきなり責任Maxなんですよね。
だって、デザイナーが僕しかいないんだから。
なので、「できません」って言ったら、「じゃあ、誰がやるの?」ってことなんです。
そら、もう、無言のプレッシャーですよね。
それは起業してからも同じで、今なお「背水の陣」が常態みたいな、ヒリヒリしかしない生活が続いております(汗)
それで、うちの社員さんを見てて思ったんです・・・
「できません」と言える“幸せ”
「できません」と言えてしまう“不幸”
・・・みたいなのがあるよな、って。
尻拭いしてくれる人がいれば、「できません」って言えるわけで、フォローしてくれる先輩なりの姿を見て、自分と比較して学べることも多いと思います。
これはすごく幸せなことだと思うんです。
でも、一方で、「できません」というカードが使えるという前提があるので、安易に限界を決めてしまうこともあるでしょう。
自分が限界と思っていたその先に成長があるのに!
・・・まぁ、これはすごく昭和的な発想なのかもしれませんけどね。
竹刀でしばきまくる佐山サトル、海に蹴り落とす戸塚ヨットスクールが普通だった世代ですから・・・
令和とのギャップが激しすぎて戸惑います。
もし、僕が「できません」カードを使えたなら・・・
僕は克己力ゼロですからねぇ。
あっさり使っちゃうと思うんですよねー。
そして、一回使うと、味をしめて何度も使うようになると思います。
ただ、残念ながら!?、僕は「できません」と言える環境だったことは一度も無かったので、やらざるを得ず、そのお陰でなんとか人並みに成長できたわけですが・・・
皆さん、それぞれ、成長の秘訣ってお持ちだと思うんです。
僕の場合、「できません」って言わずに(言えずに)、ひたすらやってきた、ってことなんでしょうね。
でも、よく考えたら、高卒で生意気なだけで無能な僕を拾ってくれた会社には「できません」カードが置いてなかっただけなんですよね・・・
令和の今、「できません」カード完備!って求人広告に出したらどうなるんでしょうか。
トンデモナイのが来そうですが・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。