このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
充実した人生ってなんだろう?
先日、お客様と話していて、「これまでできなかったことや、我慢していたことを少しずつやっていこうと思って」と、趣味に使える車を買ったと話してくださいました。
20代の頃は峠を走ったり、まさに『頭文字D』なことをやっていたのだとか。
でも、40代になって、当時のような危険な走り方はできないけど、車を少しずつ自分好みにして、たまに娘とドライブできたらと思って・・・と。
・・・うーん、良いなぁ。
なんか、人生、充実してる感あるなぁ。
その方が買った車なんですが、フェラーリやロールスロイスのような高価な車ではありませんよ。
でも、それを聞いて、なんか、すごく羨ましかったんですよ。
その方の生き方がすごく魅力的に映りました。
僕は
・自分好みに改造できる車を持つ
・子供とドライブする
ということに羨ましさを感じたわけじゃありませんし、その方が買った車なら僕にも買える金額でした。
もしかすると買った車がフェラーリとかなら、「フェラーリ良いなぁ(=購入・維持できる所得があって羨ましい)」ってなるかもしれませんけど。
そんなこともあって、「あれ?僕は何に羨ましいって感じたんだろう?」ってギモンを持ったんです。
「やりたいことをやっている」という姿が眩しく、魅力的で、羨ましく感じたのでしょうか?
それで、人生が充実しているように見えたのでしょうか?
ちょっと思ったんですが・・・
「車を自分好みに改造して、ドライブに行っていたけれど、今はあまりやっていない」って話であれば、「へぇ、そうなんですね」で終わったのかもしれません。
羨ましさも感じないかもしれませんね。不思議なことですが。
過去の話を聞いても、その人の充実度は測れませんしね。
もしかすると、“今”まさにやりたい何かに夢中になっている姿を見て、人は羨ましく感じるのかもしれません。
考えてみたら・・・
「“昔”、フェラーリを持ってたけど、今は持っていない」って聞いたら、羨ましいとか、妬みの感情はあまり出てきませんね。
「“昔”、めちゃくちゃキレイな彼女がいた(でも、今はいない)」・・・うん、羨ましい感情はないw
結局、僕らが無意識にしてしまう比較は“今”が対象なのかもしれませんね。
だから、“今”比較で不利になると、つい“昔”話をしたくなる・・・
それで、ついつい盛ってしまう・・・気持ちがわかりすぎて辛い(T_T)うぅ…
高田純次さんが「説教、昔話、自慢話をしないようにしているから、エロ話しかできない」みたいなことを言っていました。
いやぁ、素敵すぎますねw
一方、“未来”はどうなるか分からないから、比較のしようもないですね。
なるほど、だからでしょうか、広告も暗に“今”の比較をさせるものが多いですよね。
結局、人生の充実って、「“今”、この瞬間の充実」で測られるものなんでしょうかね。
「充実した人生ですか?」って聞かれて、“昔”を思い返しても“今”と比較することになりますし、“未来”なんてわからないし。
それなら、やりたいことがあるなら、“今”、やってしまった方が、人生の充実につながるってことなのかもしれません。
たしかに、「“今”、やっている人」を見て、魅力的に感じるのは、その人の人生が充実しているように感じるからですね。
少し脱線しますが・・・
僕がやっている空道(大道塾)という武道の創始者、東孝さん(僕らは塾長と呼んでいました)が亡くなる直前に残した『東孝の遺言』という書籍が、先日、手元に届きました。
そこには余命宣告されて死のまさに数日前までの様子が、記されているのですが、その文面から感じられる塾長の“今”は(僕には)充実したものに見えました。
この本を執筆中、すぐそこに迫っている死という避けることのできない“未来”があったわけですが、当時、まだご存命中の塾長の“今”は、僕の“今”よりキラキラと輝き、充実しているように感じられました。
改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。押忍。
まぁ、ということなら・・・
“今”、やるかッ!
・・・まずは、「やりたいこと」を探さないとな。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。