その97 邪推しちゃう私たち

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

邪推しちゃう私たち

前回、『ネーミングの威力』という記事を書きました。
「同じものでも名前変えると印象変わるよね」って自分で書いてて、なるほど確かにそうだ・・・なんて自画自賛してたら、ちょっと興味深いネーミングに出会ったんです。

『最暗黒の東京』という本に、明治時代の最下層社会の様子が書かれているのですが、そこに「残飯屋」というのが登場します。
「残飯屋」というのは、士官学校なんかから大量に出る、食品残渣(食べ残し、調理残渣など)を格安で買い取り、貧民層に販売するというお店です。
士官学校の調理担当者にとってはお小遣い稼ぎになるし、食品残渣を引き取ってくれるから自分たちで処分しなくて済むし、貧民層にとっては安く食料が手に入るとのことで大変人気だったそうです。
とは言え、食べ残しですし、それを笊や桶に入れて買って帰ってくるわけです。
きっと、ぐちゃぐちゃでしょうね・・・
ちなみに、漬物や米の類の残飯は、手づかみで販売してたみたいですよ(汗)

さて、これら残飯を販売する際の残飯屋のネーミングセンスが光ります!?

株切=漬物
アライ=鍋底についた米を洗い流した米
竃(へっつい)=パンの切れ端
虎の皮=おこげ

と言った具合にネーミング。
「虎の皮」なんて面白いですよね。おこげの斑模様から着想したようですが。

残飯屋が大人気だったのは、その日暮らしの人にとって、食事の支度に必要な炭や薪が非常に高価だったという背景があるようです。たった1回の食事のための費用として、コスパが悪かったんでしょうね。
東南アジア諸国を訪問していたとき、どこの国だったか忘れましたが、「冷蔵庫を持っていない(買えない)家庭も多いので、食べ物を保存しておけない。だから外食(屋台など)が多くなるんだ。」と聞いて、「なるほど」って思ったんですよね。
お金がないのに外食するって不思議だったのですが、合点がいきました。

近年、日本でも食品ロスって問題視されていますよね。
STARBUCKSやコンビニでも、捨てる前にセール価格にして販売するようになりましたし。
もともと、セールってブランド価値を下げる可能性もあって、企業が与えたいブランドイメージによっては、選択しづらい施策でしたよね。
ところが、今はそれが「かっこいい(企業として正しい姿勢)」って変わってきたのでしょう。
でも、不思議なもんで消費者の感覚からすると、コンビニの陳列棚にズラッと商品が並んでいて欲しいものなんですよね。食品ロスを考えるとそんな状態が良いとは言えないんですが。
例えば、「昆布のおにぎり」が目当てだったとしても、なぜか「昆布のおにぎり」が一つポツンと置いてある閑散とした棚のコンビニでは買いたくないですよね?
本来「希少性の法則」が働きそうなもんですが、その「昆布のおにぎり」が一つだけ残っている理由を邪推しちゃいませんか?
実際、自分が欲しかったものでも最後の一個になった途端、購買意欲が下がるらしいですね。
購買プロセスには、いくつかの中から自分で選択したという体験が必要で、そのためにある程度「選択の自由」が必要なんだとか。

未婚の人を「売れ残り」なんてどストレートな表現をすることがありますよね。
もしかすると、売れ残っている理由も邪推されて、余計に売れ残るっている可能性もありますよね(汗)
なら、邪推せず、素直に選択すれば、好みのタイプの方をゲットできる可能性もあるってことかもしれませんよ!?

年末にこんなこと考えてて良いものなのか、来年が不安でしょうがありません・・・
でも、まぁ・・・メリークリスマス!&良いお年を!

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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