その103 人生というゲームの難易度を下げることはできるのか?

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

人生というゲームの難易度を下げることはできるのか?

僕はファミコン世代ということもあって、割とゲーム好きなんですよね。
RPGゲームなんかだと、一本道のストーリーよりも、自由度が高いものが好きで・・・
例えば、「次は北へ向かえ」なんて言われると、全く違うところへ行きたくなっちゃうタイプなのでね(苦笑)
「マップの果てはどこだろう?」とひたすら画面の端を目指したり、とにかく本編と関係の無いことばっかりしてストーリーが進まないんです。

そんなプレイスタイルなので、よく詰むんですよね。
例えば、自分のレベル(強さ)を超えたダンジョンに興味本位で入って、出られなくなる・・・とか。
そんなダンジョンにもぐりこんで、アイテムも使い果たしたころに、扉が見つかって、「お!そろそろ出口なんじゃないか!?」と思ったら、また新しいダンジョンが始まるし、ボスみたいなのも登場して、絶望・・・みたいな(汗)

戻れないし、進めない。
完全に詰んだわけです。

ところが、そのゲームはプレイ中に難易度を変更できる仕様だったので、難易度を「VERY EASY」に変更し、僕はその難局を難局ではなくして越えることができましたw

そのゲーム内での難易度を下げるというのは、ざっくり言うと

・自分が強くなる
・敵が弱くなる

というものでした。なるほどですね。

で、ちょっと思ったんですけど・・・

「人生詰んだ…」みたいな状態でも、似たようなことってできませんかね?できると良いですよね?
目の前の困難の難易度を下げて、乗り越える方法ってあるのでしょうか?

例えば、銀行融資が受けられるかどうかが会社の存続に関わる、そんな状況があるとします。
中小零細企業には大変リアルな話ですが(汗)
融資の例を前述のゲームに置き換えると・・・

・自分が強くなる → 利益の見通しについて好材料が揃う。
・敵が弱くなる  → 融資の審査基準が激甘になる。

・・・みたいな感じでしょうか。
でも、突然こんな都合の良いことは起こりませんよね(汗)

ただ、「自分が“相対的に”強くなる」「敵が“相対的に”弱くなる」というのはあり得るかもしれません。
例えば、僕は格闘技(空道)の小さなトーナメントに出て優勝できたのですが、それはコロナ禍という環境下で、難易度が思いっきり下がったからだと思います。
単純に試合に出場する選手の数が“平時よりも”遥かに少なかったのですw

つまり、難易度を下げたい場合、「自分が“相対的に”強くなる」「敵が“相対的に”弱くなる」環境に身を置くという方法があるってことです。
そうすれば、突然、難易度が下がるということは十分あり得ます。
“強み”なんて言葉がありますけど、それについても、“絶対的”な強さを高める努力をするより、もしかすると“相対的”に強くなれる環境を探す方が早い・・・なんてことがあるかもしれませんね。
「そんなお山の大将みたいなのは格好悪い」って思うかもしれませんが、ビジネスでは立派な戦略です。
それどころか、上手くいけばすごい利益があがる可能性だってあります。

あと、ゲームと言えば・・・
ゲームクリア時のステイタス(強さ)のまま、新たに最初からゲームをプレイするという「強くてニューゲーム」というのがあります。
最終ボスを倒すくらいの強さですから、全く苦戦せずに無双できる痛快なゲームモードです。
これ、ビジネスでも似たようなのあるなぁ、って思ったんです。
それは会社を成功させて、また新たな事業をはじめるシリアルアントレプレナー(連続起業家)がまさにその典型じゃないでしょうか。
シリアルアントレプレナーかぁ、憧れるなぁ。
(自分より弱い息子とレスリングして、無双している場合じゃない・・・)

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから