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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「ホテルの朝食がそんなに大事だったのか!?費用対満足度を考えてみよう」
先日、沖縄(本島)に行っていました。
実は昨年も訪れたのですが、コロナ禍ということもあってか、観光客も少く、ちょっと寂しかったですね。
ただ、いち旅行者としては空いていてい快適でした。(飲食店は結構閉まっていて不便でしたが)
ところが、今年は観光客がかなり戻っていて、賑わっていて、驚きました。
沖縄を訪れる観光客が最も多かった年は2019年だそうで、その年の8月と昨年2021年の同月とを比較すると、昨年は最盛期の三分の一以下とのこと。
つまり、昨年の沖縄は、本来の沖縄の姿とは程遠い状況だったわけです。
実際、昨年訪問した際には、観光客で賑わうはずの国際通りも閑散としていて、寂しかったですね。
一方、宿泊していたホテルは静かで、朝食は広い会場に数組しか宿泊客はおらず、ゆったり食事ができて快適でした。
さらに、テーブルでワッフルやフレンチトースト、パンケーキのオーダーができ、できたてが運ばれてきて最高でした。
「さすがリゾートホテルだぜ!」と感心しました。
ところが、今年、同じホテルに泊まりましたが、そうした朝食サービスはありませんでした・・・(期待していたのに)
そもそも、昨年と違い、ものすごい宿泊客の数(肌感覚的には昨年の10倍以上)で、朝食ビュッフェもごった返していました。
会場に入り切らない宿泊客が列を作っており、まるでビジネスホテルの朝食の様相でしたからね・・・
サービスの品質が、需要供給のバランスでここまで大きく変わるんだな、と驚きました。
だって、同じ場所、同じスタッフ、同じ教育で、高級リゾートホテルの品質から一般的なビジネスホテルの品質までの振り幅ですからね。
結果、今年のホテルは昨年と比べ、費用対満足度はかなり低くく感じました。
この需要供給のバランスを戦略的に組み立てるのが、ビジネスセンスというものなのかもしれません。
一定のサービス品質を保証するため、客数や販売数量を制限するお店もありますよね。
費用対満足度が低いと、再購入(再利用、再訪など)はしませんから。
ホテルでそれを感じて、満足度って大事なんだなって実感しました。
例えば、カウンターで食べる高級お寿司屋さんや天ぷら屋さんがありますよね?
平均予算が3〜5万円/人とか、そんなお店。
確かに高いけど、大将の仕事を見て、うんちくを聞きながら食事ができる時間と空間は、唯一無二のエンターテイメントとも言え、費用対満足度が非常に高くて、また行きたいと思えるお店だったりするのです。
もし、そのお店が拡大して、カウンター席に加えて、4人がけテーブルを2つ出したとします。
一見儲かりそうなものですが、きっと、サービスの品質は下がるでしょうし、費用対満足度は5万円に値しないと思います。費用対満足度1万円相当となるかもしれません。
先程「サービスの品質が下がる」と表現しましたが、「“顧客が期待している”サービスの品質が下がる」という意味なんでしょうね。
ですから、「顧客が何を期待しているのか?」ということが重要なわけです。
費用対満足度を支えているのはそのサービスなわけですから。
例えば、この例では、費用対満足度を支えている大きな要素として「大将とのコミュニケーション」があったわけです。
それ無しでは3〜5万円は成立しない、と。
自社が提供している商品やサービスにおいて、費用対満足度を支えているもの、要は何なのか?
しっかりと考えていかないといけませんよね。
前述のホテルの例では、僕にとってのそれは「朝食」、もっと言えば「できたてのワッフルやフレンチトースト、パンケーキ」だったわけです。
でも、よく考えたら、そんなのホテル以外でも食べられるわけで、高いお金(宿泊費)を出してまで、わざわざ朝食に食べる必要があったんだろうか?
普段は朝ごはんを食べないくせにね。
今、冷静になって考えると、「ホテルで」「朝食に」「フレンチトーストが食べたい」の明確な理由が見つからないんですよねぇ・・・
来年は、顧客である僕がホテルに「何を期待しているのか?」を冷静に考えてみようと思います。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。