このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「待てない人」
僕、メールやチャットの返信が遅い人にイライラしちゃうんですよね。
イライラというか・・・「返信はまだなのぉ?」って気持ちになるのが、他の人に比べて異常に早いんです。
こんな風に、“待てない”人っていますよね?
そう言えば、知り合いの経営者で、部下とチャットのやり取りをしていて、返信が遅いからリモートデスクトップにアクセスして、部下がタイプしているのを見に行く、という方がいらっしゃいましたw
究極のせっかちさんですね。
“待てない”人が待たずに済むことってできるのでしょうか?
例えば、テーマパークのファストパスは、行列を回避する方法ですよね。
また、プライベートジェットで移動する人は、搭乗手続きなどで待つ必要はありません。
こんな風に「待つ」状況をお金で回避することはできそうです。
また、相当な権力者であれば、色んな場面で順番抜かしもできるでしょう。
これは聞いた話なので、本当かどうかわからないのですが・・・
伝説的なボクサー、パッキャオをあるイベントのゲストとして日本に招待したときのこと。
到着予定時刻を過ぎても到着口に現れず、どうしたのか?と運営スタッフが心配していると、どうやらワクチン未接種で日本に入国できなかったのだとか。
そこに政治家がやってきて・・・なぜか?!無事に日本に入国できた、と。(隔離なども無し)
THIS IS パワー!
プライベートジェットなど、“待てない”人向けのサービスはお金がかかります。
“待てない人”ってもしかすると高所得者になる可能性が高いのかもしれませんよ!
パナソニックの創業者、伝説の経営者松下幸之助さんの側近の方の書籍では、仕事を頼んだ松下幸之助さんがさして日時も経たないうちから「まだできないのか?」と聞くことがめちゃくちゃ多かった、というエピソードが紹介されていました。
こんな偉人との共通点を見つけると、なんだか“待てない”自分も偉人になった気持ちになりますね♪
急いでいるときには、どんな人でも、相手を待っていられずにヤキモキしたり、イライラすることはあるでしょう。
ところが、“待てない”人って、そんなに急ぐ必要がない状況で、「急ぎの要件じゃないけど…」と自分で言っておきながら、数時間後には「あれの件、進捗どうなってる?できた?まだ?」と聞きちゃうんですよね。
一体、何なんでしょうかね。
・・・まぁ、自分のことなんですけど。
「自分ならこれくらいの時間でできる」というのが、頭のどこかにあるんでしょうか。
急ぎじゃないと言いながら、流石にこの辺にはできるでしょう・・・と想定していたり。
相手からしたら迷惑な話ですよね。
「それなら納期を先に言えよ!めっちゃ急ぎじゃねーか!」って思われているでしょうね・・・(T_T)ウゥ…
ところで、シンガポールのUSJで飲み物を買おうと順番待ちしていると、インド人が割り込んできてマジギレした僕は、“待てない”人だけど、“待たざるを得ない”人だということですね。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。