このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「遅刻や欠勤のためのアリバイの作り方」
遅刻するとき、ちょっと急いできた風を装うって大事ですよね。
10年ほど前の映画『謝罪の王様』では、謝罪の仕方について色々とレクチャーがありましたが、その一つに急いできた風を装うというのがあった位ですからw
途中まで余裕かまして歩いていたくせに、直前で走り出す芝居をしていたことがバレていたらどうでしょうか?
かなり寒いですよね。
言い訳を聞かされているときって、これと同じ気持ちになりませんか?
言い訳する側って面白いことに、
・自分は出来る努力を最大限した
・自分の力ではどうしようも無い事情が起こった
と、自己肯定しながらも、求められた結果に至らなかったストーリーを創作し始めるんです。
その壮大な!?ストーリーで訴えたいのは、「自分の責任ではない!」というただ一点だったりして。
面白いことに、この創作、本人がどんなに巧みに練り上げたつもりでも、色々破綻していて突っ込み疲れる位で、面白いです。
もちろん、周囲から見るとそんなのはバレバレで、とても見てられないんですよね(苦笑)
本人は必死で芝居しているから、余計に痛々しくて・・・
例えば、極端な例ですが・・・
お世話になっていた叔母が危篤で、足の悪い母親を連れて病院にお見舞いに行かないといけないので、今日は休みます。
・・・という理由で欠勤の連絡があったとします。
これは例としては分かりやすく、非常に香ばしいものですねw
- 実の母を危篤にするのは、嘘でも流石に気が引けるので、ここは叔母さん登場。
2.「危篤」って言ってるだけで、死んでない(殺してない)ので、自分の良心はそんなに傷まない。
3.叔母さん程度の距離感の方が信憑性を感じる。
4.母親の場合、ひょんなことからバレる可能性もある。
5.「お世話になっていた」とつけることで、叔母さんとのエンゲージメントを高めて、特別感を出す。
6.お世話になっていた人に報いる常識人な私を演出。
7.「母親」を出すことで、「私が行きたいわけじゃない」と責任の所在を有耶無耶に。
8.「足の悪い」と加えることで、「一人では行けない」のでしょうがない&「家族に優しい自分」を演出。
9.「叔母」「母親」など、家族を出すとすごく突っ込みづらい。
10.「お見舞い」という単語は相手の良心に訴えるのは効果的。
・・・まぁ、本当だったらごめんなさい。
でも、日頃から信用のない人って疑われちゃいますよね。
仮に本当だとしても、これだけ疑われる箇所があるってことだから、油断できませんね。
ところで、人を信じるのと、疑うのってどっちがエネルギー要るのでしょうか。
裏切られる可能性がある分だけ!?、「信じる」方がエネルギーが要るような気がするのは僕だけでしょうか?
昔、固定電話しか連絡手段がなかった頃、相手と待ち合わせをするときには、相手を信じて待っていたわけです。
今考えるとすごいエネルギーですよね。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。