このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「厳しく残酷な世界」
先日、息子が格闘技の交流戦で優勝しました。
僕の趣味に付き合わされて、無理やりやっている格闘技なんですが(苦笑)
彼にとって初めての公式戦で、東海圏の同年代の男児と競い合うことになりました。
息子は「負けたらどうしよう…」という恐怖もあったんでしょう、初戦は戦う前から今にも泣き出しそうな表情でした。
ちなみに、僕からしたらパワーで彼に勝てる同世代の出場者はいないと思っていたので、恐れるに足らずって感じでしたが。
試合直前にアドバイスをしたら「ちょっと黙っててッ!」と逆ギレされてしまいました(苦笑)
その緊張の初戦・・・
なんと相手が会場に現れず、不戦勝!
これはラッキー♪
ところで、これを勝ちと言って良いのでしょうか!?
実は息子、5歳の頃、フィリピンで極真館(フルコンタクト空手)の大会に最年少で出場することになって(これも僕に巻き込まれた)、同じような状況で3位になったことがありましたw
色んな条件をクリアして、恐怖に打ち勝って試合の場に立った息子。(実は、一戦目でボコられて、泣いて、二戦目には出たくない!と言っていた)
一方、二戦目の対戦相手のフィリピン人は、初戦が終わって帰ってしまったようでしたw
さすが、フィリピン。
例えば仕事のプレゼンでもそうですが、どんな理由があったとしても、プレゼンの時間に遅刻したり、指定の場所にいなかったら、それで終わりですからね。
試合では、こうした社会の縮図も垣間見られます。
考えてみたら、どちらが勝つかか負けるかは、50%の確率なわけです。
つまり、当たり前ですが、どちらか一方が「必ず負ける」こと。
トーナメントであれば、一人の勝者(優勝)とそれ以外は全て敗者になります。
まるで、コンペでの受注/失注のようです。
ちなみに、負けた子供たちの半分くらい!?は悔しくて泣きます。
中には癇癪を起こして大暴れしている子供もいてましたよ。
ちなみに、試合は子供の戦いとは言え、ある程度冷静でないと勝てません。
思うようにいかなくて、いちいち癇癪を起こしていたのでは普段のように動けないでしょう。
これは仕事も同じですよね。
そもそも仕事なんて、自分の思う通りにいかないとこの方が圧倒的に多いわけで、その度に癇癪を起こしてたら100%頭がおかしくなります。
大人だからこうして客観的に見られるのかもしれませんが、子供の試合とは言え、厳しく残酷な世界だよなぁ、って思いますね。
僕なんて負けるのが怖いし、ボコられるのが怖いしで試合に出られませんけどね・・・(子供には「試合に出ろ!」と言いながら、自分は出ないというなんとも人間臭い父親ですよ・・・)
さて、大会が終わり、主催した地区の支部長が「優勝は皆の目標でもある。だから優勝者は、皆の模範でなければならない。」とおっしゃっていました。
「普段の生活も含めて、優勝者に相応しい皆の模範となるような行動をとって欲しい」と。
なるほど、確かにそうですね。
コンペで勝ち取った仕事であれば、しっかりと全うし、コンペの競合が「あぁ、これは敵わないわ」と思えるような仕事をするってことですね。
自社はこういう仕事ができているのか?と、常に自問しないといけませんね。
子供の大会でしたが、なんだか背筋が伸びる思いでした。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。