その203「社員教育に必要なことについての話と、金的を思いっきり蹴られた話」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「社員教育に必要なことについての話と、金的を思いっきり蹴られた話」

先日、趣味でやっている格闘技(空道)で指導をする機会をいただきました。
黒帯は指導員という立場にもなりますから、基本はもちろん空道に必要な技術などを教えられないといけません!(ドヤァ)

僕が担当させていただいた際、「ニーオンザベリー/ニーインザベリー」の練習をしていました。
格闘技に興味がない方には馴染みないと思いますが、仰向けになった相手を上から制する基本的なテクニックの一つで、相手のお腹や胸に片膝(脛)を押し当てて体重をかけ、相手の動きをコントロールするというものです。
自分の体重を上手く利用する感覚をつかんでもらうために、膝の一点に重心をあずけて相手を制する方法を伝えました。
すると、後輩の一人が、「A先輩からは膝の一点に重心をあずけない方がいいと教わったのですが…」と話してくれました。
僕にはA先輩が「◯◯な状況/展開においては」という文脈があって、そうアドバイスしたのだなと、先輩の意図がわかりました。
ところが、その後輩はどちらが正しいのか、良いのか、わからないのです。
実際のところ、どちらも正しいし、どちらも有効なのですが、彼は戸惑っていました。

考えてみたら、やり方の一つを伝えているだけで、それがどんな状況や目的のときに有効なのか?については、丁寧に説明しないことがあります。
仕事の指示や教育でもこんなことはしょっちゅう起こります。
前述の後輩のように真面目な人ほど、忠実に行動してくれますから、間違いなく混乱させてしまいますね。

その後輩は素直で、真面目に練習しているのですが、未だ試合に勝ったことがありません。
前後の文脈もなくテクニックだけ教えても、彼は混乱しますし、当然試合でも使えませんよね。
彼の成長、そして成果については、指導する僕ら先輩にも責任があるとハッとしました。
会社でも同様ですね。
部下や後輩の成長と成果に責任を持つなら、相手の立場に立つという「丁寧」は必須ですね。

ちなみに、A先輩(全日本レベルの選手)とスパーリングしているとき、先輩がスッと柔道の内股の体制になり、勢いよく脚を蹴り上げたんですが、その踵が僕の股間に直撃したことがあります。
こんな大きな声出したことないってくらい大きな声で、「ギャー!」って叫び、悶絶しました。
この技!?は、漫画『ザ・ファブル』に登場する「ボス」のモデルになったという方が、「金的は当てるのが難しい。だから、まさかここでやってくるとは思わない投げのときが狙いやすい。例えば、内股と見せかけて踵で蹴り上げる、とか。」と教えてくださった技でした。
流石、ファブルの技、めちゃくちゃ強烈でした(汗)
ちなみに、僕がやっている格闘技(空道)では、一定以上の体格差があれば金的が認められるルールでございます・・・((((;゚Д゚))))

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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