その171「大谷翔平を見て、コンペの勝率を激上げする方法に気づいた」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「大谷翔平を見て、コンペの勝率を激上げする方法に気づいた」

先日、ロサンゼルスへ視察に行ってきました。
と言っても、そんな大げさなものではなく、経営者の勉強会の仲間と一緒に現地のトレンドはなにか?を見に行く、そんなツアーでした。

メンバーの一人、A社長が「どうせロサンゼルスまで行くなら、MLBを見たい!もしかすると大谷が登板するかもしれないし」と言い出したんです。
確かに、その体験は日本ではできないですよね。
野球に興味のない僕も、スポーツビジネスの本場アメリカの球場がどんなだか興味がわいてきました。

そんなA社長に触発された僕も「どうせそこまで行くなら…」と、趣味の格闘技(空道)のロサンゼルス支部へ出稽古することにしました。
実は、前述のツアーでは、現地に住む人とコミュニケーションをとる機会はなく、せいぜい、レストランでオーダーする程度です。
でも、出稽古すれば、そこに暮らす人達と一緒にトレーニングして、多少会話もできますからね。(問題は、僕は英語がほとんど喋れないことと、コミュ障だってことです…)
こういうことは日本国内では体験できない内容です。

で、視察の主催者の方に「出稽古行きたいです」と伝えると、「それって、危険なスポーツに入らないんですか?海外旅行の保険の補償対象外でしょう?」と。
それで、保険会社が定義する「危険なスポーツ」ってなんやねん?と調べてみたら・・・

ピッケル・アイゼンなんかを使うような本格的な山岳登はん
スカイダイビング
ハングライダー
ロッククライミング
ボブスレー

・・・などが該当するそうです。
確かに、万一何かあったら、即死かな…(汗)
自然を相手にするスポーツに比べると、出稽古が相当安全なものに思えてきますね。

さて、1週間ほどの視察を経て、一番印象に残ったのが、MLBと出稽古でした。(視察の内容と全く関係ない、っていうね…(苦笑))
エンゼルスタジアムに行ってみると、球場とファンが創る熱気みたいなのがすごくて、お祭りのようなワクワク感がありました。大谷翔平選手も見ることができましたし、文字通り日本ではできない体験でした。
出稽古では、視察では行かなかったベトナム人街を訪問することができ、現地の道場生たちとコミュニケーションがとれて楽しかったです。
そこの責任者の方にはベトナム料理をごちそうになり、テスラで送ってもらえました♪

こうした強烈な印象があると、それ以前の出来事は全部上書きされてしまいますね。
視察で行った場所、そこで話した内容の全てが、「大谷翔平選手」で上書きされてしまいましたから。
コンペなどのプレゼンでは強烈なインパクトを残せるのであれば、後攻が圧倒的に有利だと確信しました。
これが、海外視察の収穫ですね。

ちなみに、エンゼルスタジアムでは、「OHTANI 17」ではなく、弊社の社名入りのオリジナルユニフォーム「LIONHEART 1」を作成しました。
カメラで抜かれたらすかさず見せようとスタンバイしていましたが、隣で視察の主催者の方が(MLBに興味がないと)寝ていたので、「こんなん絶対抜かれないやん…」と諦めました(涙)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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