その239「NewJeansのハニを見て思ったこと」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「NewJeansのハニを見て思ったこと」

 

少し前の話になりますが、韓国のアイドルグループの1人が、日本の歌を歌って、かなりバズりました。
彼女は、オーストラリアで生まれたベトナム人で、韓国のアイドルグループ『NewJeans』に所属するハニという子で、東京ドームで、松田聖子の『青い珊瑚礁』を歌っていました。
オーストラリア、ベトナム、韓国、日本・・・国だけでもこれだけ出てくるってすごいですよね。

韓国でも、「なんだこの歌は?」「誰の歌だ?」とバズって、「歌ってみた」動画がSNSにたくさんあがっていました。その投稿者の多くは韓国人だったりして驚きました。
国境も、時代も超えたわけです。
松田聖子さんはもちろん、『青い珊瑚礁』の作詞者、作曲者もこんな風にバズる未来は想像できなかったでしょう。
そもそも「バズる」って言葉自体が、SNSのリアクション(いいね!やシェア、コメントなど)の様子から生まれた言葉ですからね。当時には無かった言葉ですよね。

ハニの経歴やこの現象を見ていると、日本でぼーっとしていていいものか!?って危機感も感じてしまいます。
ちなみに、彼女の経歴とは真逆!?なのが、僕が住む愛知県出身の人たちなのかもしれません。
あるデータでは、愛知県生まれの85%が、今も愛知県に住んでいるとのことです。
中途半端に大きく、大学もあれば、仕事もあるし、国際空港もあるし、新幹線も止まる。生活するコスパは悪くありませんし、わざわざ県外に出る必要が無いんです。
愛知県で生まれ、育ち、県内で就職し、結婚し、家庭を持ち・・・そんな自給自足の県なのです。
ちなみに僕は三重県出身ですが、愛知県に住んでいる人の1%ちょっとが三重県出身者だそうです。
こんな風に、県外からの移住者も少なくて、結構独特な県なのです。

愛知県は生活基盤や市場が安定している一方で、刺激や変化も少ないのも事実です。
不自由のない、安定した水槽の中で生活しているような、そんな感覚にもなります。
もし、その水槽にこれまでいなかった生物が入ってきたり、病原菌が発生したら・・・環境変化に不慣れな水槽の住民たちは全滅してしまいそうですよね。

どんなコミュニティであっても、異物!?を受け入れるリスクは確かにありますが、だったら、自分がちょっと出てみる(別のコミュニティに入ってみる)のがいいかもしれませんよね。異物になるってことですけども。
コミュ障のくせに何言ってるんだ!?って自分で思っちゃいましたよ・・・

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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