第14回「不真面目なイスラム教徒というのを見たことがありません。そんな人もいるのですか?」

日本人は中東を「イスラム教の国々」と一括りにしてしまいがち。でも中国・北朝鮮・日本がまったく違う価値観で成り立っているように、中東の国だって様々です。このコンテンツではアラブ首長国連邦(ドバイ)・サウジアラビア・パキスタンという、似て非なる中東の3国でビジネスを行ってきた大西啓介が、ここにしかない「小さなブルーオーシャン」を紹介します。

  質問  
「不真面目なイスラム教徒というのを見たことがありません。そんな人もいるのですか?」

たしかに敬虔な人が多いイメージがありますし、私もそう思いますが、不真面目に見える人も確かに存在します。
まず何をもって不真面目とするかですが、シンプルに戒律を破るとか宗教的行事に参加しないとか、そのあたりで考えてみたいと思います。

吉本興業所属の芸人でイラン人のエマミ・シュン・サラミという方がいるのですが、彼の著作「イラン人は面白すぎる!」という本にちょうど今回の問いに当てはまりそうな例を見つけたので、今回はこちらを参考にしたいと思います。

イスラム教徒の義務として有名なものにラマダン(断食)があります。
断食なので期間中の食事は当然厳しく制限されますが、中には水はおろか唾さえも飲み込んではいけないと言う人もいます。これが義務とは結構ハードに聞こえますが、みんなきちんと守っているのでしょうか。
それに関する記述があったので、そのまま引用します。(斜体部分は全て同書からの抜粋)

”イラン人は日本人ほど清潔な国民とはいえないが、ラマダン中はやたらと顔を洗う姿を目にする。これは、顔を洗うフリをしつつこっそり水を飲んでいるのだ。”

”実際にニュースになっていた事件だが、ラマダン中にプールの利用客が通常の八倍になり、経営者は大喜びだったのだが、閉館時間にはプールの水かさが三分の一に減っていたという。”

”僕が目撃したことだが、川にわざと時計を捨て、「あ~、なんてことだ! 祖母の形見の時計を落としちまったよ」と白々しく叫び、川にもぐって水を飲んでいたところを警官に見つかった人がいた。絶対に水など飲んでいないと主張していたが、奥歯にメダカがはさまっており、尾びれをピクピクさせていたためあっけなく逮捕されてしまった。”

どうやら、水飲んでる人もいそうです。

”僕の同級生の兄は高校でも有名なワルで、あるとき停学処分になってしまった。その理由というのが、ラマダン中にもかかわらず、ワル仲間数人とトイレでケチャップをすすっていたのである。(~中略~)トイレのゴミ箱からケチャップの空きびんが見つかり、さらに担任の先生が彼らのシャツについた赤いシミに気づいて問いつめたところ、「屋上でダチと殴り合ったときについた血だよ」とごまかしたらしい。”

ワルなら破りますよね、規則は。トイレのゴミ箱に捨てるあたり、個人的には脇がアマいように思います。

ただ、全員食べてはいけないわけではありません。ラマダン期間中であっても老人や赤ちゃん、病人などは断食免除されますが、それを利用して、

”医者にわいろを渡してニセの診断書を書かせ、病人を装ってゴハンを食べる者もいる。”

また、妊婦や生理中の女性も食べていいので、

”僕の従姉はチャドルの中にまるめた毛布を入れ、妊婦を装ってチョコレートをむさぼり食っていたし、五六歳の近所のおばさんは、生理中だと言い張ってはお菓子をぼりぼり食べていた。”

厳しく真面目なイスラム教徒のイメージが崩壊するとともに、人間臭くて親近感を感じます。

別の例も見てみましょう。一日5回のお祈りも義務とされていますが、中には全くしない人もいるようです。それについてはどう理由を付けているのでしょうか。

”ペルシャ絨毯のお店を七店舗経営しているアハマドさんは「ウチの店はいつも(絨毯を)三、四割引きで売ってるから、お祈りも神様に割引してもらってるんだ」と言い、スーパーマーケット経営者のカゼミアンさんは「神様と交渉して、ツケにしてもらった」と言い訳をし、ザミンさんは「肩に爆弾を抱えててお祈りができないんだ」と言いつつも趣味のゴルフは欠かさない。ひどいヤツになると「オレは祈りたいんだが、女房がお祈りアレルギーで」とイスラム教自体否定しかねないことを平気で言う。”

この本には基本的にイランのエピソードが書かれていますが、おそらく他のイスラム教圏でも似たようなことが繰り広げられているのだろうと思います。
それにしても、彼らの言い訳の独創性には驚きました。この本は笑えると同時に、現地イスラム教徒の普段の生活を覗いているような気になれるので、興味のある方にはオススメです。

そういえば私の知り合いのパキスタン人も、一日じゅう一緒にいてもお祈りしているのを一度も見たことがありません。曰く、「お祈りするかどうかはイスラムの本質じゃない。所作だけ真似ればいいというものではない。お祈りの意味も考えずに地面に這いつくばっても意味がないんです。私ですか? 私は本質を理解しているのでしなくても大丈夫です」とのこと。
本質と言われたところでイスラム教徒でない私には「なるほど」ぐらいしか言えませんが、彼は一般的に見れば「不真面目である」と映るかもしれません。
面倒なことや苦しいことは、場合によっては回避しようとする。彼らもイスラム教徒である前に人間なので、当然と言えば当然です。

一方で、イスラム教徒がみんな真面目に見えるという感覚も分からないではありません。
仮説ですが、普段はユルめのイスラム教徒でも、異教徒と触れ合う際はイスラム教徒らしくあろうと襟を正しているのではないでしょうか。
また、自分が無宗教であると自覚している日本人は多いと思いますが、それゆえ他人から少しでも宗教的なニオイを感じると「ちゃんとした信仰を持っていて真面目だ」と思うのかもしれません。もちろんこちらも仮説ですが。

誤解のないように言っておくと、実際に私がこれまでに現地で会った人は真面目な方々も多いです。「中には不真面目に見える人もいる」ぐらいに考えるとちょうどいいかもしれません。
サボっているように見えてめちゃめちゃ信仰の篤い人もいると思いますので、なかなか境目は見えにくいですね。

 

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 この記事を書いた人  

大西 啓介(おおにし けいすけ)

大阪外国語大学(現・大阪大学)卒業。在学中はスペイン語専攻。
サウジアラビアやパキスタンといった、どちらかと言えばイスラム感の濃い地域への出張が多い。
ビビりながらイスラム圏ビジネスの世界に足を踏み入れるも、現地の人間と文化の面白さにすっかりやられてしまった。
海外進出を考える企業へは、現地コネクションを用いた一次情報の獲得・提供、および市場参入のアドバイスを行っている。
現在はおもに日本製品の輸出販売を行っているが、そろそろ輸入も本格的に始めたい。大阪在住。

写真はサウジアラビアのカフェにて。

 

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