経営者のための映画講座 第2作目『6才のボクが、大人になるまで。』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週金曜日21時。週末前のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『6才のボクが、大人になるまで。』の人生の見つめ方。

2014年に公開された『6才のボクが、大人になるまで。』は主人公・メイソン少年の成長を描いた作品だ。原題は『BOYHOOD(少年期)』というまんまなタイトルなのだが、リチャード・リンクレイター監督はこのタイトル通り、この作品にメイソンくんの6才から18才までをていねいに描き出そうと考えた。

では、どのようにメイソンの少年期を1本の映画にするのか。彼が思いついたのは本当に18才になるまで撮影しようという方法だ。12年かけて撮影すればいいじゃないか、と。しかし、これはドキュメンタリーではない。あくまでも脚本がちゃんとあるドラマである。普通なら、少年期を演じる役者とよく似た青年を見つけてきて、両親役には老けメイクをして撮影に挑むことになるのだが、リンクレイターは12年かけて撮影するという方法を選択した。

パトリシア・アークエット(母役・この作品でアカデミー助演女優賞)、イーサン・ホーク(父役)、エラー・コルトレーン(メイソン役)、ローレライ・リンクレイター(姉役・監督の実娘)らキャスティングされたほうも驚いたことだろう。オファーされてから12年後に完成予定の作品なんてざらにあるもんじゃない。でも、経営者を監督と考えれば、彼らが打ち出す5年先10年先のビジョンを社員たちが共有するという姿勢は、この映画のあり方に少し似ているのかもしれない。

とにもかくにもこの映画、「いまから12年間、断続的に撮影するからね」と撮影が始まったのだ。可愛かった少年の顔が少しずつ大人になったり、父が老けていったり、母の体型が崩れたり、といった状況の変化はこの上なく自然で、観客はまるで人生の縮図を見ている気分になる。これがこの映画の大きな見どころのひとつである。

さて、もうひとつの見どころ。それはリンクレイター監督の受け流すような場面の描き方だ。この映画の主人公メイソンは、両親の離婚を経験したり、友人にいじめられたり、悪い仲間に近づいたりする。しかし、リンクレイターはすべてを解決せずに受け流していく。例えば、学校のトイレで悪態を吐かれたり、暴力をふるわれたとしても、それが解決するまで描こうとはしない。次の場面で数年が経過していて、そういえば、以前そんなことがあったな、と思い出すだけだ。そう、リンクレイターは決着をつけようとはしないのだ。

『6才のボクが、大人になるまで。』という映画を何度も見返したくなるのは、適当に受け流してくれることの温かさがあるからだ。いまの世の中、適当に受け流すことを許してくれない風潮がある。何かあれば場当たり的でもいいから、すぐに判断してすぐに対応を考える。しかし、そこで急ぎすぎると本質を見誤ってしまう。それは企業でも個人でも同じだろう。

リンクレイター監督は、決して見ないふりをするのではない。ひとりの少年を、ひとつの家族を、12年間もじっくりと見つめながら自分自身の視線も成長させようとする。そして観客は、リンクレイターと同じように劇中の人物たちを見つめ、彼らの小さな経験の連なりがひとつの流れになり、やがて大きな人生という川になっていくことを実感する。

12年が過ぎて、やりたいことを見つけ、人を愛することの入口に立ったメイソンを見る時、私たちももう一度人生の入口に立ったような気持ちになることができる。この作品を見る度に、リンクレイター監督の優しさと厳しさを実感し、ていねいに見つめることの重要性を改めて考えさせられる。

 

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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