経営者のための映画講座 第78作『日本沈没(1973)』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『日本沈没』に見る、船とともに沈むという生き方。

会社の経営が思わしくなくなると、そこから優秀な人材が逃げていく。天変地異が起こる予兆があると、動物たちが騒ぎ始め、その地域から移動しはじめるという話もある。しかし、いざ自分がそういう状況に置かれるとどうなのかと考えると、実際どうするのか即答に困る。もちろん、夜寝ていたら、近くの川が決壊して床下浸水したなら,地域の避難先に指定されている中学校の体育館に移動するだろう。でも、それは避難先がしっかりと決められていて、移動するタイミングもはっきりしているからだ。

ところが、日本である。日本が沈没するのである。小学校の真ん中くらいの学年でこの映画を見たときには、映画の完成度や役者の演技や演出よりも、日本が沈没したらどうする、という設定に度肝を抜かれてしまい、恐れおののきながらスクリーンを眺めていた。

地殻変動で日本が海溝の割れ目に吸い込まれてなくなってしまうという状況の中で、若者たちは絶望して自暴自棄になる。政治家たちは保身に走る。専門家たちは自分にできることをやろうと躍起になる。恋人たちは呆然と海を眺めている。

そんな中で、名優・小林桂樹が演じる田所博士は地震の専門家として、自身のなすべきことを必死で成し遂げようとする。例え、政治家が「地震が来なかったらどうするんだ」と及び腰になっても「来たら、どれだけの国民が死ぬと思っているんだ」と一歩も引かない。田所博士は専門家の間でも、変人として通っている。それはそうだろう。まわりの空気など全く読まずに、自分の研究してきた数値を信じ、そして何よりも勘を信じて周囲を巻き込んでいくのだから。

やがて、日本は田所博士が予感したとおりの道をたどっていく。周辺国への受け入れ要請や、日本政府存続のための道が検討され、紆余曲折ありながら、日本国民を救う道が示されるのである。この時、田所博士は他国への非難を拒否する。日本全体がすべてなくなってしまうのか、僅かでも陸離が残るのか。そんな、状況ではあるがそこに残ると言うことは、死を意味する。生き残れる可能性は皆無だ。

しかし、田所博士は「私は日本に残る」と言い出す。彼は絶望しているわけではない。彼は灰と泥にまみれた顔で言う。「日本人はこの島国に住んでいるから日本人なのではない。このデリケートな島国の環境や気候、すべてが日本を作り日本人を育んできた。この島がなくなれば日本は、日本人はなくなってしまうのです。私は日本に惚れていた。自分の惚れた相手が死ぬなら、浮気をしたり後妻をもらったりするつもりはない。私はここに残る」という意味のことを話し、非難することを拒否し、日本とともに沈んでいくことを選択するのだった。

職人が職人の技だけを磨いているだけでは、いつのまにか生き残れなくなった。今どき、職人の技がSNSでたまたま紹介されたことでヒット商品が生まれ、技術が継承されたということが美談として語られるが、果たして本当だろうか、と私は考えてしまう。

だって、それまで黙殺されても誰も困らなかった職人技が、たまたま人に知られるチャンスを得て多少延命したとしても、それはいわゆる「バズった」だけのこと。SNSでなんの根拠もなく盛り上がった話題は、あっと言う間に忘れられてしまう。だとしたら、「そっとしておいてくれ」という職人だっているだろう。年齢や環境によって考え方は変わるだろうが、船と共に沈むという生き方はあってもいいと思う。ただ、田所博士のように自分にできることをすべてやり遂げて、船と共に沈む、というくらいの覚悟が政治家や国民たちにもあれば、この映画の流れも変わっていたかもしれないし、もしかしたら現実の今の世の中だって大きく変化していたのかもしれない。

昔の映画を見るという行為は、かつてあった選択肢を知るということでもあるのかもしれないと最近よく思うようになった。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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