経営者のための映画講座 第12作目『太陽を盗んだ男』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『太陽を盗んだ男』が盗んだのは本当に太陽か

沢田研二がうだつのあがらない奇妙な中学教師として登場する『太陽を盗んだ男』は1979年に公開された。長谷川和彦監督の第二作目の映画である。そして、長谷川監督にとってこの映画は今のところ最新作。つまり、この映画を完成させてから40年以上経つのだが彼はまだ次を生み出せていないのである。それはもしかしたら、この映画があまりにもインパクトが強く、監督自身の熱量を上回って誕生した作品だからかもしれない。

映画のストーリーは至ってシンプル。中学の理科教師が原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、自らの手で原爆を作る話だ。当時、自他共に認める大スターであった沢田研二は、ここでは見事なまでに普通の男を演じている。主人公の普通さが見事に露呈するのは、原爆が完成してからだ。なんと、この男、ただただ原爆が作りたくて作っただけなのだ。作った原爆で日本政府を脅しにかかるのだが、脅したあげく欲しいものがない。

この設定が見事に映画を暴走させ混乱させ、どうしようもない人のあり方を具現化していく。最初の要求は「プロ野球のナイター中継を最後まで放送しろ」であり、次の要求が「ローリング・ストーンズの日本公演開催」であり、それらが受け入れられたあと「次は?」と問われて、主人公である犯人・城戸は「現金5億円」というなんともありきたりな要求をしてしまうのだ。

本人も嫌々要求したありきたりな「現金5億円」がこの映画の転機となる。捜査を指揮する山下(菅原文太)は最初から城戸という男がわからない。なんのために原爆を作るのか、なんのために罪を犯してまでローリング・ストーンズを呼べと要求するのか。そして、最後の最後、現金を要求した城戸に対して、「ほら見ろ、底が知れた」という気持ちと「なんだ、お前、現金でいいのか」という気持ちが複雑に入り交じっているかのように見える。ここから、映画の中の城戸と山下はまるでわかり合えない父と息子の様相を呈するのである。

映画の終盤、放射能に蝕まれた身体で起爆装置をセットした城戸に、山下は陽動作戦を仕掛ける。「ローリング・ストーンズなんざ、来やせん!」と言う山下を見る城戸の表情はなんとも無残だ。この映画はある意味、父殺しの神話のようであり、現代のわかり合えない時代の予見でもある。血のつながりがあるにせよ、ないにせよ、その国や組織を繊細に見つめれば見つめるほど「未来を変えなければ」と願うようになる。そしてそれは、その国や組織を守ってきた人々に対しては脅威となってしまうのだ。

さて、あなたが必死で守ってきた会社がある。そして、可愛がってきた期待の社員がいる。その社員がある日気づく。「この会社はこのままじゃだめだ。もっと変化を受け入れなければ」と社長であるあなたに、その期待の社員は目を輝かせて話しかける。

さあ、この社員が胸に抱えているのはあなたやあなたの会社をまるごと吹っ飛ばす原爆なのか。それとも、これからの未来を明るく照らしてくれる太陽なのか。大切なことは映画のなかの城戸と山下のように、「わかり合えないかもしれないけれど、徹底的に対峙すること」だと思う。擬似的な息子として存在する沢田研二扮する城戸にはなんの責任もない。映画のなかの菅原文太扮する山下が命を張ったように、権力を持つ側、つまり社長が覚悟するかどうかだけの話だ。そう、ここでは社員にはなんの責任もないのだ。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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