経営者のための映画講座 第27作『大怪獣ガメラ』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『大怪獣ガメラ』に見る子どもに寄りそう映画作り。

東宝が1954年に公開した『ゴジラ』は大人の映画だった。明確に反原子力というメッセージを持ち、突如現れた怪獣が人類の営みを破壊するという、言わば退廃的な美学をもった映画だったと言える。しかし、その社会的なメッセージを越えて、狂喜乱舞したのはやはり子どもたちだ。日ごろから思い通りにならない鬱憤を自分の代わりに晴らしてくれるかのような怪獣の存在は、『ゴジラ』をシリーズ化させただけではなく、日活に河童の怪獣『ガッパ』を製作させ、ホームドラマの松竹にも『宇宙大怪獣ギララ』を作らせたのである。

さて、そんな中、大映も黙ってはいられない。「ゴジラに負けない怪獣映画をつくれ!」という社長命令のもと、大映は『大怪獣ガメラ』を作り上げたのだった。つまり、『大怪獣ガメラ』は『ゴジラ』ありきの映画であり、『ゴジラ』に勝つことを使命とされた映画だったわけだ。結果的に大メジャーの『ゴジラ』に興行収入で勝つことはできなかったが、二番手としてのポジションは勝ち得たと言えるのではないだろうか。

『大怪獣ガメラ』が二番手であるにも関わらず、いまも多くのファンを持ち、新作が待望されているのには理由がある。それはきちんと子どもたちに向けた映画作りがなされていたからだろう。ガメラシリーズは第一作から、主人公は子どもたちだった。北海道に初上陸した時にも灯台に取り残された少年を救うなど、ガメラはことあるごとに子どもたちには優しく接するのである。ガメラは足を引っ込めた穴から火炎を噴射して空を飛ぶのだが、その時、身体全体を高速回転させる。しかし、子どもたちを背中に乗せたときだけは回転しないのだ。そのことに子どもたちも気付き、映画は中盤から子どもたちとガメラの友情物語へと移行していく。

大人気となったガメラシリーズだが1970年代に入ると数本しか作られていない。その後、平成に入って平成ガメラ三部作が作られるのだが、ここではこれまでと違った残虐なまでのバトルシーンを取り入れることで大ヒットした。しかし、映画の中でガメラと気持ちを通じ合わせるのはやはり大人ではなく幼い少女たちなのである。つまり、平成三部作のガメラも、子どもたちのために存在しているというテーマは継続しているのである。

第一作の子どもたちに優しいガメラを描き、平成三部作では子どもと気持ちを通じ合わせながらも残酷な破壊神となったガメラを描く。それはつまり、ガメラという怪獣の本質をその時代その時代のクリエイターたちがきちんと把握した上で、製作を行ったということの証明なのかもしれない。

そして、このガメラシリーズの方向性を決定付けたのは大映社長であった永田だった。「ガメラには哀愁がなければいけない。子どもたちが見た時に『ガメラがかわいそうだ』と哀愁を感じないといけない」と彼は言ったという。永田の願いはきちんと具現化され、ガメラは常に根底に哀しみを讃え、それゆえにどこか弱く、子どもたちに愛されてきた。

同じ大映が製作した『大魔神』が、神話と怪獣を融合させた大映の映画屋たちが生み出した映画だとすれば、『大怪獣ガメラ』は経営者が生み出した映画だと言えるのである。結果、『大魔神』カルト的な人気を博し、『大怪獣ガメラ』は子どもたちを中心に幅広い人気を博したのだった。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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