この対談について
「日本一高いポスティング代行サービス」を謳う日本ポスティングセンター。依頼が殺到するこのビジネスを作り上げたのは、壮絶な幼少期を過ごし、15歳でママになった中辻麗(なかつじ・うらら)。その実業家ストーリーに安田佳生が迫ります。
第3回 初めての仕事は、ヤクルトレディ
第3回 初めての仕事は、ヤクルトレディ
17歳でシングルマザーになったということは、娘さんは1歳とか2歳とか。
離婚した時に1歳半くらいでした。
なるほど、まだまだ手がかかる時期ですね。そんな中での就職活動だった。
ええ。しかも私、前回お話したように中学もまともに行ってない人間で。漢字も書けないし、手に職があるわけでもないから、仕事を探すのも大変でしたね。
そもそも、働いている間は娘さんをどこかに預けなきゃいけませんよね。最近は保育園を見つけるのも大変だって聞きますが、当時はどうだったんですか?
まさにそこも悩みの種で。そんな中で見つけたのが、ヤクルトレディの仕事でした。この仕事は託児所サービスがあるんですよ。
なるほど!食い扶持を稼ぐことと娘さんの世話、両方が叶う仕事だったと。
ええ。それに私、小さな頃からヤクルトが大好きで(笑)。好きなものだからやっぱり売りやすいというか、成果を出せるんじゃないかと思って。
そうか、ヤクルトレディは歩合制の仕事なんでしたっけ。
そうですね。販売金額に応じて自分のお給料が決まるシステムで。売れば売るほど儲かるってことですね。
でも逆に言えば、全然売れなければ収入もなくなるってことですよね。
そうですね。ある程度はお客さんを付けてもらえるから、ゼロってことではないんですけど。でも、売れ残った商品は基本買い取らなきゃいけなかったりとか、リスクはそれなりにありますよね。
言ってみれば「人生初の仕事」ですよね。そんな状況でよくリスクを取ろうと思いますね。
なんですかね、最初にお試しの研修期間があるんですけど、そこで褒められちゃったんですよね。本社のトレーナーさんでしたけど、「あなた素質あるから絶対売れるわ!」なんて言われて。
やっぱり。見る人が見たらわかるんですよ。
いえいえ(笑)。でもそれでなんかいい気になっちゃって、始めたんですけど。
実際どうだったんですか?すぐ売れるようになった?
売れるようになりました(笑)。私の働いていたセンターには40人くらいヤクルトレディさんがいらっしゃったんですけど、入社2ヶ月で1位になりました。
2ヶ月で1位!すごい!いったいどうやったんですか?
うーん、どうなんでしょうね。あ、でも、できるだけマージンが高い商品を売ることは意識してましたね。ヤクルトが一番高いんですよ。ジョアとかソフールよりも。
なるほど。
ヤクルトに関して言えば全国1位になったりもしましたね。
全国1位!すごいなあ。じゃあ収入もかなり高かったんじゃないですか?
うーん、実はそうでもないんですよね(笑)。この仕事って働くのは朝からお昼くらいなので、よくて10何万とか、それくらいです。
ああ、なるほど。お小遣い稼ぎの主婦さんならいいけど、それだけで喰えるほど稼げるわけではなかったと。
そういうことです。市から補助金もいただいて、それで何とか暮らせるくらいで。このままじゃマズイなと思いながらやってました。
じゃあヤクルトで働いた期間はそう長くない?
そうなんです。もうちょっとちゃんと稼がなきゃなと思ってる時に、子どもの保育園が見つかりまして。
なるほど。託児所がついていない仕事でもよくなった。
そういうことですね。それで近所の印刷会社のパート募集に応募して。入って1年くらいで副社長から「社員にならへんか?」って。
ああ、やっぱり(笑)。どこに行っても仕事ができちゃうんですね。
いやもう、本当にありがたい話で。
正社員になって収入はアップしたんですか?
すごく上がりましたね。年収で言うと370万円くらいだったかな。
すごいですね!だってまだ当時18歳とかそれくらいですよね。かなりできる社員じゃないとそんなに払わないですよ。
そうなんです。実際、先輩社員さんより私のがもらってたみたいで……周りには結構妬まれてしまって。
それはそうでしょう(笑)。その会社には何年くらいいたんですか?
18で入って、5年くらいはいましたね。最終的には工場長になっていました(笑)。
工場長!聞けば聞くほど仕事ができる人なんですね。次回はそんな中辻さんの内面に再びフォーカスしてみようと思います。
対談している二人
中辻 麗(なかつじ うらら)
株式会社MAMENOKI COMPANY 専務取締役
1989年生まれ、大阪府泉大津市出身。12歳で不良の道を歩み始め、14歳から不登校になり15歳で長女を妊娠、出産。17歳で離婚しシングルマザーになる。2017年、株式会社ペイント王入社。チラシデザイン・広告の知識を活かして広告部門全般のディレクションを担当し、入社半年で広告効果を5倍に。その実績が認められ、2018年に広告(ポスティング)会社 (株)マメノキカンパニー設立に伴い専務取締役に就任。現在は【日本イチ高いポスティング代行サービス】のキャッチコピーで日本ポスティングセンターを運営。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。