
で、お世話するのにめっちゃ時間かかったりとかして、もともと好きで集めたりお世話してたのが、なんか、だんだんと縛られていってる自分を感じるんですよ。ナイフを磨くのも最初は楽しかったんですけど、本数が増えていくうちにですね、「なんか仕事やってるのと変わらないな」みたいな。

で、靴も磨いたりしないといけないし、なんか人間って、自分で自分をそうやって縛りの中に放り込んでいってるっていうか、「断捨離」とかって言いますけど、もうちょっと根幹的な、生き方の問題じゃないかって気がしてきまして。

ははは(笑)。いやぁ、ハムスターにおいてはなかったかなあと思いますけど、ランニングでケガしたときには、まあ、「何やってんだろう」とは思いますね。なんだろう、「好きでやってるのに、本末転倒だな」とかって思いながら最近はいます。

なんか、「好き」とか、会社もそうなんですけど、儲けるためにやってたりするじゃないですか。みんな「収入を増やしたい」とか「お金持ちになりたい」っていうのは思うと思うんですけど、それも私のナイフとかモウセンゴケと一緒で、「もっと欲しい」っていうぐらいで、たとえば1本しかナイフなかったら結構快適だと思うんですよ。1本のナイフを眺めながら毎日磨いたりして。

だから“too much”になると、単に持ち物だけじゃなくて、やることとかも……ほんと好きで愛情を注ぐ対象としてるものも……どうなんだろうっていう。どう思います?たとえば子どもがね、たくさんの人いるじゃないですか。100人とか子どもがいても、やっぱ愛し続けられるのかなあとかですね、考えちゃいけない禁断のことを考えてしまうんですけど。たとえば栃尾さんは、そういうふうに感じることあります?「なんのために私、こんなことやってんの?」って。

つまり、たとえば10個モウセンゴケをお手入れするのが時間的にできなくて、だんだん枯らしていってしまうとか、ストレッチを足したがために他のはやめざるをえないとか、そうなっていく気がします。ただ、物ってスペースがありさえすれば、たとえば大きい場所に引っ越したりしてどんどん増える方もいるので、それは限りがないなあと思いますけど。

そうなんでしょうかね。なんていうんでしょう、何かを始めるためには、まず何かやめなくちゃいけないっていうのはよくわかってるんで、そういうふうにはやってるつもりなんですけど……「好きだからたくさんあったほうがいい」っていうときにでも、程度っていうもんがあるじゃないですか。

私でいうと、子どもに関しては2人でも結構大変ですが、「子どもがいなければよかったな」っていうか、「大変だな」みたいな……えっ、なんていうんだろう、そういうふうにはあんま思わないですね。「いま瞬間でもいないほうがよかったな」とか思わなくて、いまも「どっちか選べるとしたら、どっちを選ぶか」って結構よく考えます。

そういうのを、なんていうんでしょう、未来の自分から逆算して、いまは好奇心とか「好きだ」っていう気持ちが強いけど、結婚とかもね、瞬間の「好きだ」で結婚して、神様にまで誓って、親戚縁者みんな呼んで、「この人と一生添い遂げます」とか言いながら別れちゃうわけで。
*本ぺージは、2021年2月24日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。音声はこちらから
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