地元国立大学を卒業後、父から引き継いだのは演歌が流れ日本人形が飾られたケーキ屋。そんなお店をいったいどのようにしてメディア取材の殺到する人気店へと変貌させたのかーー。株式会社モンテドールの代表取締役兼オーナーパティシエ・スギタマサユキさんの半生とお菓子作りにかける情熱を、安田佳生が深掘りします。
【新連載】第1回 ケーキとは無縁の進学先を選択したパティシエ
今回から、株式会社モンテドール代表のスギタマサユキさんとの対談がスタートします。よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。安田さんと出会ってからもう10年が経ちますが、こうやってじっくりお話ができる機会がいただけて嬉しいです。
最初のきっかけは、私が2014年に『こだわり相談ツアー』を始めてすぐの頃に、ツアーに申し込んでくれて。
そうですそうです。募集開始されてすぐに申し込みましたから。でも、お約束していたのに結局会えなかったんですよね…(笑)。
そうでしたねぇ。「骨折してしまって行けません」って言われて(笑)。これはドタキャンされたのかと思ったら、本当に足が折れていた(笑)。
その節は大変失礼しました(笑)。結局、ようやく会えたのは約1年後でした。今度こそ絶対に遅刻しちゃいけないと思って、ものすごく早い時間に新橋駅に到着していたのを覚えています(笑)。
笑。ちなみに知らない方のために説明すると、『こだわり相談ツアー』は、私のおすすめのお店で食事をしながら1対1でお話をするという企画でした(現在休止中)。スギタさんは何度も広島から都内まで来てくださり、私も楽しい時間を過ごさせてもらいまして。
毎回、安田さんが厳選したお店につれていってくださるんですよね。美味しかったなぁ。
そうでしたね。美味しいご飯を食べながら楽しく雑談していたわけですが、何度目でしたかね、ふとスギタさんが言うわけです。「そろそろ仕事の話もしていいですか?」と(笑)。
あの時の安田さんの顔は忘れられませんね。驚きながら「え? スギタさんはただご飯を食べに来ているんだと思っていました」って。いやいや、ブランディングの話もしたかったんですけど…って(笑)。
笑。そこからちゃんと仕事の話もし始めて。で、より深い話をしていく中で、「食をシェアするプロジェクト『パルティータ』」が生まれました。「パルティータ」という言葉はパーティーの語源にもなっていて、ラテン語で「分けられたもの」という意味があるんですよね。
はい。パルティータは僕の子どもの頃の思い出に着想を得たブランドなんです。幼いころ父がよくホットプレートで夕飯を作ってくれたんですが、「今日は餃子パーティーだぞ」とか「焼きそばパーティーにしよう」っていう日がすごく好きで。
家族皆でホットプレートを囲んで、ワイワイ食べるわけですね。
そうなんです。ブランドコンセプトを安田さんと考えている時、その思い出が浮かんで。それで「誰かとシェアして食べるのって楽しいよね」という話になり、じゃあ「みんなでシェアする」のを前提としたブランドを立ち上げようと。
そうでしたね。すごく大きなクレームブリュレとか、チーズフォンデュ用のちぎりパンとか。でも、ケーキの方のパルティータはちょっと苦労してましたよね。
そうでした。というのも、パンは「一人用」で売られているのが当たり前なので、シェアすること自体が特徴になるんですが、ケーキはそうでもないんですよね。ホールケーキみたいに、そもそもシェアすることが前提の商品が多い。
確かに、ホールケーキは分け合わなきゃ食べられないですもんね。
そうなんですよ。つまり普通のケーキを「パルティータ」と言っても盛り上がらない。「分け合って楽しくなるようなケーキってどんなものかな」と考えに考えて、すっごく大きなクレームブリュレを作ってみたりして。
クレームブリュレと言えば、表面のカチカチの部分がありますよね。あそこをみんなでスプーンで崩して食べるのは楽しそうですね。ちなみに今でも販売しているんですか?
今はちょっとお休み中ですね。というのも、コロナ禍で「みんなで分け合う」というのができなくなってしまったので。また機会を見て再開できればいいなとは思っています。
なるほど。ところで先ほどお父さんのお話が出てきましたが、スギタさんの食へのこだわりは、やはりお父さんの影響が大きいんでしょうか。
そうですね。父も洋菓子職人だったんですが、家でもよく料理をしてくれたんです。母があまり料理が得意な人ではなくて(笑)。
ああ、なるほど。それで代わりにお父さんが。
そういうことです。ともあれ父も仕事で忙しかったので、「子どもたちのお腹を手早く満たせる料理」ということで、ホットプレートが大活躍だったと。
ははぁ、なるほど。豪快な男飯というわけですね。それを「パーティだ!」と表現することで子どもたちのテンションも上がると。
まさにまさに。
いやぁ、いいお父さんですね。スギタさんもそういう様子を見ていたからこそ、料理人に憧れていったんですかね。
もちろんそれもありますけど、父も僕もそもそも食べることが大好きなんですよね。だからよく料理番組を録画して、一緒に何度も何度も見返したりしてました。そんなこんなで作る方にも興味が向いていったというか。
それで後年、スギタさんはお父さんのお店を継ぐことになったわけですね。お店の創業者はおじいさんなんでしたっけ?
ええ。祖父が「杉田ベーカリー」というお菓子工房を始めたのが最初です。当時は個人商店や結婚式場にシュークリームとかエクレア、バームクーヘンなどを卸していたそうです。
いわゆるBtoBのお菓子屋さんだったと。そこからお父さんの代になり、BtoCへとシフトチェンジされた。それは何か理由があったんですか?
祖父の代で懇意にしていた卸先が、みんなスーパーやコンビニなどに取って代わられてしまったんですよね。それで僕が小6の頃に杉田ベーカリーを廃業し、第二創業という形で父が「モンテドール」というケーキ屋さんを始めることになったんです。
なるほど。そして後年その「モンテドール」をスギタさんが継ぎ、現在はパティスリー『ハーベストタイム』とベーカリー『スギタベーカリー』という2業態で展開されているわけですね。いや、なかなか壮大な歴史だ(笑)。
笑。確かにこうやって時系列で考えてみると、いろいろ変わっていますねぇ。
ちなみに、食べることが大好きだったスギタ少年は、子どもの頃から店を継ごうと思っていたんですか?
そうだと思いますね。やっぱりいちばん身近にあった職業だったので、自然と「将来は自分もこの店を継ぐんだろうなぁ」とは思っていたんじゃないかな。…中学生までは。
ん? 中学生まで?
そうなんですよ(笑)。高校になって小説や映画に触れる機会がすごく増えたことで、視野が広がっちゃって(笑)。
「実家がケーキ屋だから自分もケーキ屋になるなんて、人生の選択肢を狭めているんじゃないか?」と(笑)。
仰る通りです(笑)。で、それまでの反動もあったのか、どんどん他の世界に出ていきたいという思いが強くなっていって、結局は大学進学を決めたんです。
ああ、そうか。家業を継ぐなら大学に行く必要はなかったわけですもんね。それにしてもお父さんは驚かれたんじゃないですか? 当然継いでくれると思っていたのに。
だと思います(笑)。実際、僕もずっと「自分が継ぐから」と言っていたので。
宣言しておいて、それを反故にしたわけですか(笑)。それはひどい(笑)。
確かに(笑)。そのせいか、「地元の国公立以外は行かせん!」と言われましたね。もっともそれは、既に兄が都内の私立に進学していたからでもあるんですけどね。
お兄さん、小説家を目指されていたんでしたっけ?
そうなんですよ。日大芸術学部の文芸学科で学んでいました。ただ入学までにすでに2浪していて。仕送りとかもあるから我が家の貯金があっという間に減っていって(笑)。だから父の感情とは関係なく、僕には地元・広島の国公立しか選択肢がなかったんです(笑)。
なるほど。それで広島大学に進学されることになったと。そこからどうやって家業を継ぐことを決断するまでに至ったのか…次回はその辺りについてお聞きしていきたいと思います。
対談している二人
スギタ マサユキ
株式会社モンテドール 代表取締役
1979年生まれ、広島県広島市出身。幼少期より「家業である洋菓子店を継ぐ!」と豪語していたが、一転して大学に進学することを決意。その後再び継ぐことを決め修行から戻って来るも、先代のケーキ屋を壊して新しくケーキ屋をつくってしまう。株式会社モンテドール代表取締役。現在は広島県広島市にて、洋菓子店「Harvest time 」、パン屋「sugita bakery」の二店舗を展開。オーナーパティシエとして、日々の製造や商品開発に奮闘中。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。