地元国立大学を卒業後、父から引き継いだのは演歌が流れ日本人形が飾られたケーキ屋。そんなお店をいったいどのようにしてメディア取材の殺到する人気店へと変貌させたのかーー。株式会社モンテドールの代表取締役兼オーナーパティシエ・スギタマサユキさんの半生とお菓子作りにかける情熱を、安田佳生が深掘りします。
【新連載】第1回 ケーキとは無縁の進学先を選択したパティシエ

今回から、株式会社モンテドール代表のスギタマサユキさんとの対談がスタートします。よろしくお願いします。

最初のきっかけは、私が2014年に『こだわり相談ツアー』を始めてすぐの頃に、ツアーに申し込んでくれて。

笑。ちなみに知らない方のために説明すると、『こだわり相談ツアー』は、私のおすすめのお店で食事をしながら1対1でお話をするという企画でした(現在休止中)。スギタさんは何度も広島から都内まで来てくださり、私も楽しい時間を過ごさせてもらいまして。

笑。そこからちゃんと仕事の話もし始めて。で、より深い話をしていく中で、「食をシェアするプロジェクト『パルティータ』」が生まれました。「パルティータ」という言葉はパーティーの語源にもなっていて、ラテン語で「分けられたもの」という意味があるんですよね。

はい。パルティータは僕の子どもの頃の思い出に着想を得たブランドなんです。幼いころ父がよくホットプレートで夕飯を作ってくれたんですが、「今日は餃子パーティーだぞ」とか「焼きそばパーティーにしよう」っていう日がすごく好きで。

そうなんです。ブランドコンセプトを安田さんと考えている時、その思い出が浮かんで。それで「誰かとシェアして食べるのって楽しいよね」という話になり、じゃあ「みんなでシェアする」のを前提としたブランドを立ち上げようと。

そうでした。というのも、パンは「一人用」で売られているのが当たり前なので、シェアすること自体が特徴になるんですが、ケーキはそうでもないんですよね。ホールケーキみたいに、そもそもシェアすることが前提の商品が多い。

そうなんですよ。つまり普通のケーキを「パルティータ」と言っても盛り上がらない。「分け合って楽しくなるようなケーキってどんなものかな」と考えに考えて、すっごく大きなクレームブリュレを作ってみたりして。

もちろんそれもありますけど、父も僕もそもそも食べることが大好きなんですよね。だからよく料理番組を録画して、一緒に何度も何度も見返したりしてました。そんなこんなで作る方にも興味が向いていったというか。

祖父の代で懇意にしていた卸先が、みんなスーパーやコンビニなどに取って代わられてしまったんですよね。それで僕が小6の頃に杉田ベーカリーを廃業し、第二創業という形で父が「モンテドール」というケーキ屋さんを始めることになったんです。

なるほど。そして後年その「モンテドール」をスギタさんが継ぎ、現在はパティスリー『ハーベストタイム』とベーカリー『スギタベーカリー』という2業態で展開されているわけですね。いや、なかなか壮大な歴史だ(笑)。

そうなんですよ。日大芸術学部の文芸学科で学んでいました。ただ入学までにすでに2浪していて。仕送りとかもあるから我が家の貯金があっという間に減っていって(笑)。だから父の感情とは関係なく、僕には地元・広島の国公立しか選択肢がなかったんです(笑)。
対談している二人
スギタ マサユキ
株式会社モンテドール 代表取締役
1979年生まれ、広島県広島市出身。幼少期より「家業である洋菓子店を継ぐ!」と豪語していたが、一転して大学に進学することを決意。その後再び継ぐことを決め修行から戻って来るも、先代のケーキ屋を壊して新しくケーキ屋をつくってしまう。株式会社モンテドール代表取締役。現在は広島県広島市にて、洋菓子店「Harvest time 」、パン屋「sugita bakery」の二店舗を展開。オーナーパティシエとして、日々の製造や商品開発に奮闘中。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。